5人の男から暴行を受けたマーク・ホーガンキャンプ(スティーブ・カレル)は瀕死の重傷を負う。何とか回復したものの、事件以前の記憶をなくし、重いPTSDに苦しんでいた。彼はフィギュアで空想の世界「マーウェン」を作り、その撮影をするようになる。その世界ではホーギー大佐と5人の女戦士がナチスとの戦いを繰り広げていた。監督はロバート・ゼメキス。
 冒頭、G.I.ジョーとバービー人形が第二次大戦下のベルギーでナチスと戦い始める(フィギュアなので動きはぎこちないし表情は動かない)ので、これは一体何を見せられているのか・・・と気持ちがざわつくのだが、徐々にこれはマークが作り上げた創作世界で、彼はなんらかの障害を負っているらしい、その原因はヘイトクライムの犠牲になったことにあるらしい、そしてマークがヘイトクライムの対象にされた理由もわかってくる。「マーウェン」の世界はマークの創作であると同時に、彼の身に実際に起きた出来事を投影した、記憶をなくした彼の人生の語りなおし行為でもあるのだ。
 「マーウェン」に登場するホーギー大佐も女戦士たちも、多分にマッチョ&セクシーなジェンダーが紋切り型のキャラクター。特に女性たちはホーギー大佐=マークにとって都合よくセクシーでありフェティッシュ。彼女らは現実のマークの周囲にいる女性達を作品内に置き換えた存在なので、自分がかなり露骨に性的なモチーフとして扱われたと知ったら大分辟易するだろうし、不快にもなるだろう。マークは作品の中では自分の願望を抑えることがないので(アウトサイダーアートみたいなものだから)、傍から見ているとかなり危なっかしいし、実際に一線を踏み越えかける事態にもなる。それでも周囲の女性があからさまには不快感を見せない、見せた場合もなぜ不快・困るのかちゃんと説明するあたり、マークにとって大分優しい世界だなとは思うが、ぎりぎり「有害」っぽさを押さえられており、そのさじ加減が面白い。あと一歩でアウトなところ、不思議と不快感はあまり感じない。マークが「それは不快だ」「私には受け入れられない」と言われれば理解しそれを受け入れるからか。彼の創作物は現実を投影したものだが、現実と創作物の世界は別のものだという諦念がある。
 また、カール自身はマッチョというわけではなく、マッチョになれないからマッチョなホーギー大佐があるべき自分として現れるという面もある。悪しきマッチョさはカールを迫害したものだから、このへんもねじれた構造になっていて奇妙。とは言え、ホーギーが最後に手に取る武器が「あれ」であるのは、カールが自分の中のフェミニンな部分、フェティッシュを手放す必要はない、自分は自分だと認めたということだろう。フェミニンな象徴があれというのは、やはりちょっと古いなとは思うが。

小出由紀子
平凡社
2013-12-18