世界最大の知の殿堂と呼ばれ、ニューヨーク有数の観光スポットでもあるニューヨーク公共図書館。文学、芸術などの分野で多くの人材を育て、世界有数のコレクションを誇る一方で、ニューヨーク市民の生活に密着した様々な役割と果たしている。図書館の存在の仕方と未来に思いをはせるドキュメンタリー。監督はフレデリック・ワイズマン。
 図書館の役割と言うと資料の収集・保管と貸出ばかりに着目されがちだが、本作に登場するニューヨーク公共図書館は、資料の扱いを越えた、幅広い活動を行っている。子供向け勉強会や作家の公演、音楽界に留まらず、就職活動支援の職業説明会や、障害者支援の説明会、インターネット接続用機器の貸し出し等、ここまでやるの?!とびっくりするようなももある。しかしどれも、「知識を得る手助けをする」という意味では共通している。知識に触れる機会は、どんな人にも平等であるべき、そこに奉仕すべきというのが図書館が考える公共の在り方なのだろう。市民からのニーズにこたえていくというのはもちろんなのだが、サービスを提供するだけではなく、どういう社会にしていきたいのか、そのために図書館が出来ること、やるべきことは何なのかを図書館に携わる人たちがずっと考え続けているのだと思う。
 作中、何度も図書館員たちのディスカッションが挿入される。予算をめぐる本館での論議(ベストセラーを多く入れれば貸出率=利用率は上がる、しかし研究書や貴重な資料を購入・保管するのも図書館の使命だという定番の論議がここでも出てくる)からは、市の予算と民間の寄付の両方から成る台所事情が垣間見える。やはり公的予算は削減されなかなか苦しい所もあるようだが、民間から一定の寄付があるというところが、なんだかんだ言って民度が高い。また分館では、子供たちの学習支援だけでなく教員に対する学習支援や適切な資料の提供をどうするかディスカッションしていたり、地域の経済問題や差別問題などにも言及がある。分館の方が生活に密着している度合いが高そうだが、規模はどうあれ「公共」とはどうあるべきかということを一貫して体現しているように思う。この筋の通し方は正直うらやましい。日本はこういう所が本当に弱いんだよな・・・。
 公共であること、平等であること、ひいては民主主義とは何かということが作中提示され続けている。今、分断が進み偏狭になりつつあるアメリカの社会を見据えての、この編集・構成なのだろう。黒人文化センターへの言及が多いのもあえてか。アメリカでも歴史改変主義者が幅をきかせつつあるらしく、意図的に改変した歴史の教科書が流通してしまったという話はちょっとショックだった。そういったものへのカウンターとしても図書館は存在するのだ。
 また、図書館の素晴らしい建物や、建物のポテンシャルを活かしたイベントの様子は眺めていて楽しい。図書館の表も裏も見ることができて、とても面白かった。いきなり著名人が登場したり、ちらっと見える資料の中にあんな名前やこんな名前、肖像画があったりと、予期せぬ楽しさもあった。3時間25分という長さだが、案外気にならない。体力的には少々きつかったですが・・・。