ララ(ビクトール・ポルスター)はバレリーナを目指し難関バレエ校に入学する。しかし体のコントロールは難しく、クラスメイトからの嫌がらせもうけ、焦りは募っていく。監督はルーカス・ドン。第71回カンヌ国際映画祭カメラドール、最優秀俳優賞受賞作。
 ララはトランスジェンダーで、手術を受ける意思は固く、ホルモン治療も始めている。父親は彼女を娘として尊重し愛しており、主治医やカウンセラーも親身になっている。しかし、それでも彼女の苦しみを周囲が理解しているとは言い難い。いや客観的には十分理解しているように見えるし、彼らの愛情や思いやりは本物だ。ただ、ララ当人にとっては十分ではない。彼女は家族の愛情や医師らの配慮があることは重々理解しているが、それらの愛や思いやりは、彼女の「今ここ」にある苦しみを解決するものではないし、彼女の苦悩は周囲と分かち合えるものではない。だから「大丈夫」と言うしかないのだ。彼女の「大丈夫」が嘘だと気づいている父親との距離感が痛ましい。どちらのせいというわけではなく、そういうふうにならざるを得ない問題だということなのだろう。自分の体のことは自分以外には実感としてわからないだろうという、ララの諦念すら感じる。それが終盤でのある決断に繋がっていくわけだが、子供の苦しみを見続けなくてはならない(そこに介入できない)親も辛いだろうと思う。
 身体に関わる問題はデリケートなものが多く、特にララが抱えているようなものは、周囲が無遠慮に触れていいものではないだろう。ララのクラスメイトたちは一見、フラットなように見えるし、ララを「女性」として仲間に入れているように見える。しかし、学校でのララは笑顔でいても常に緊張し、何かに脅かされているように見える。トイレにいかなくてすむように激しい運動の時も水を飲まず、レッスン後は体の処理の為にトイレに一人こもる。自分の体のコントロールがそもそもきついのだ。加えて、何かの拍子にクラスメイト達のからかい、悪意が噴出する。誕生会での「見せなさいよ」という言葉の心なさ。彼女らにとっての自分の体と、ララにとっての自分の体は意味合いが全然違うし、「見せる」意味合いが全然違う。そもそも他人の体を見せろというのが問題外なんだけど・・・。このシーンがほんとうにきつくて気分悪くなってしまった(それだけ映画に訴えてくるものがあったということだが)。
 セクシャリティのことも、バレエを続けることも、ララにとっては自らの体の違和感との戦い、肉体を意思で屈服させていくことだ。バレエ講師は体を開放して、という様なアドバイスをするが、ララにとってはそれは到底できないことだというのが皮肉だ。

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バスティアン・ヴィヴェス
小学館集英社プロダクション
2014-02-05






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