チョ・ナムジュ著、斎藤真理子訳
2015年、結婚して子供も生まれ、子育て中のキム・ジヨンは、急に妙な言動を取るようになる。義母や友人等周囲の女性たちそっくりの振る舞いをするのだ。冗談だと思った夫デヒョンだが、そうではないらしいことに気づき、ジヨンを精神科につれていく。
精神科医が聞き取ったレポートという形式で、キム・ジヨンという女性が1982年に生まれてから2015年に至るまでを綴った小説。なにしろレポート形式なので小説というよりは女性のライフイベントにつきものな諸々の出来事の事例集のようなのだ。しかし、事例集に見えるということは、本作に描かれているようなことが実際によくあることとして強い説得力を持っているということだろう。キム・ジヨンは私よりも一世代若いといってもいいくらいなのだが、むしろ一世代昔の話のようだった。韓国ではそうだということなのか、国に関係なく周囲の文化や所属している集団によっての差異なのかは何とも言えないが、90年代、00年代でこれなの?と大分げんなりする。男児は女児よりも優先され、頑張って大学を出て就職しバリバリ働いても男性の方が優先的に評価される。結婚したら夫とその両親に仕え子供が産まれたら更に子供の世話も。仕事は辞めざるを得ず、かといって家事や育児が対外的に評価されるわけでもなく「無職」として扱われる。まあうんざりである。
デヒョンはジヨンに対して協力的ではあるのだが、ジヨンにとって仕事をやめるというのがどういうことなのか、家事・育児以外の世界と切り離されるのがどういうことなのか、全くぴんときていない。ジヨンのカウンセリングをする精神科医は、自身の妻もジヨンと同じような経験をしており「特に子供を持つ女性として生きるとはどんなことかを知っていた」という。しかしそれでも「知っていた」気になっているという程度で、同僚女性が同じような経緯で退職を余儀なくされても傍観している。症例として興味深く思っていても所詮他人事という本音が垣間見えてしまう。女性にとっては「あるある」でも男性にとっては視界に入ってこなかったことなのだと痛感する。女性が読めば自分だけのことではないという共感、連帯の契機になるだろうが、むしろ男性に読んでほしい作品ではないか。
ジヨンが自分よりも弟が大事にされていることを自分の中で理屈をつけて無理やり納得していく所や、仕事でいくら頑張ってもガラスの天井につきあたること、それは社会構造のせいなのに努力の足りなさのせいにされて途方に暮れていくところなど、胸が痛くなる。ジヨンが周囲の女性たちになりかわったように振る舞うのは、彼女らが不条理な仕打ちにより繋がっていることのように思える。本当はそんな連帯、ないほうがいいんだろうけど。