牧師の父(ラッセル・クロウ)と献身的な母(ニコール・キッドマン)の元で育ったジャレッド(ルーカス・ヘッジス)は高校を卒業し、大学進学と共に寮生活を始める。しかし「自分は男性に惹かれる」と気付き、両親に告白。動揺した両親は同性愛を「治す」という矯正セラピーへの参加を勧める。原作はNYタイムズ紙によりベストセラーに選ばれたガラルド・コンリーのルポ。監督はジョエル・エドガートン。
 映画の作りは大分固く、時系列が行き来する構成もあまりスムーズではない。冗長になっている部分と説明が不十分と思われる部分があって、ちょっとちぐはぐさを感じた。とは言え、真面目に誠実に作ろうとしていることはわかる。特に矯正セラピーの内容や、それがなぜ参加者を苦しめるようになるのかという部分をちゃんと伝えなければという強い意識を感じる。性的志向は矯正できるものではないし、矯正すべきものでもないのだ。むしろ矯正することは精神に深い傷を残すことになる。さほど昔の話でもないのに、ジャレッドの両親(だけではなく周囲の大人たち)のセクシャリティに対する意識があまりにズレていて愕然とする。唯一まともなことを言うのはかかりつけの医者だが、彼女は両親の間違いを指摘することはできない。これは、他人の宗教上の主義主張に口出しはできないということなのかな。
本作に出てくる矯正セラピーは、ブラック企業の新人研修にちょっと似ている。参加者に自分の恥・罪を告白させ、自尊心を奪ってコントロールしやすくする。その状態に、「変わらないと両親からも神からも愛されない」と教え込んでいくのだ。子供の世界はあまり広くないから、自分の世界の根底にある親の愛と信仰、神の愛を失うと居場所がなくなってしまう。セラピストは参加者に家族の罪を指摘させ、親を憎めと煽る。とは言え、全ての参加者が親を憎みたいわけではないし、親に否があるわけでもないだろう。バックグラウンドを奪うことでコントロールしやすくするというやり方は作中でジャレッドが指摘するように「フェアではない」。
ジャレッドは自分のセクシャリティに悩むが、それが親のせいだと思っているわけではない(むしろ自分のセクシャリティと親との関係は別物だと理解している)。彼は自分自身に非常に正直だ。これは、神父の息子として育ち、基本的に神の前では正直であれという姿勢が身についているからでもあるだろう。セラピストが要求するような罪の告白も、親への糾弾も、でっちあげることはできるがそれは嘘だ。ジャレッドは嘘を全身で否定する。それが出来るジャレッドは強いし、その強さは自己肯定感をちゃんと持っているということなのかなと思った。
 最後、ジャレッドが父親にある言葉を投げる。その内容はシャリティの問題にかぎったことではないだろう。子供と親とは別の人間で思い通りにはならない、でも自分はあなたの子供なのだ、自分と向き合って対話をしてくれと。これを踏まえていれば親子関係は多少拗れにくくなるのではないか。

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