エジソンが電球を発明した1880年。ハンガリーのブタペストで、リリ、ドーラと名付けられた双子の女の子が生まれた。孤児となって2人は生き別れ、ドーラ(ドロタ・セグダ)は華麗な詐欺師、リリ(ドロタ・セグダ二役)は不慣れな革命家になっていた。2人は偶然、オリエント急行に乗り合わせる。監督はイルディコー・エニエディ。
電気の発明は映画の発明につながっていく。が、まだ「シネマトグラフ」がまやかしと見られていた時代。2人の女性はZなる男性と出合い、Zは2人は同一人物だと勘違いして恋心を抱く。ファンタジー的な、電気の歴史をおとぎばなし化したような、シネマトグラフのいかがわしさと少女漫画の可愛らしさ、ロマンティックさが混ざり合っている。メリエスの映画など映画の原初を連想させるような演出があちらこちらにある。過去の映画のアーカイブ的でもあった。
 双子の数奇な人生が描かれるが、彼女らの人生はマッチ売りの時点で終わっており、大人になった2人の人生は彼女らが僅かな間に見た夢、ないしは並行世界のバリエーションのようにも見えた。あったかもしれない人生がモノクロの夢として再生されているようで、どこかあの世感がある。ただ、誰かのあったかもしれない人生という側面は、映画が本来持ち合わせている要素の一つでもあると思う。そういう意味ではとても映画らしい映画と言えるのでは。
 作中、女性の自我について憤懣やるかたない講義がなされる。女性は生殖と性の本能で生きており知性や論理的な判断力はないというものだ。もううんざりするようなものなのだが、当時の女性についての認識ってこういうものだったんだよなー。ドーラとリリが恋するZも、彼女らをこういった存在として扱う節がある。性愛に流されやすく弱い存在として舐めてかかっているのだ。現代からするとちゃんちゃらおかしい、という文脈で見せたかったのだと思う。が、本作ではそもそもドーラとリリがかなりテンプレート的な「女性」として描かれているような気がして、ちょっと齟齬が生じているように感じた。

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