1971年のメキシコ。医者のアントニオ氏一家の屋敷で家政婦として働くクレオ(ヤリッツァ・アパリシオ)。ある日アントニオ氏は出張と称して家を出、妻ソフィア(マリーナ・デ・タビラ)と4人の子供を残したまま戻らないままだった。一方クレオは恋人に妊娠を告げるが、彼もまた姿を消す。監督はアルフォンス・キュアロン。 モノクロ映像が美しく、結構長回しが多い。相変わらず流暢な映像だが、映像よりも音の方が印象に残った。雨風の音や、鳥や動物の鳴き声や町の雑踏のざわめき、海の波の音等、環境音の入り方、広がり方にすごく気を使っているという印象だ。人の声の距離感も生々しい。  使用人としてつつましく生活しているクレオも、裕福な雇い主であるソフィアも、男性に捨てられる。クレオはソフィアや子供たちに忠実に仕えるし、子供たちはクレオにとても懐いている。ソフィアは妊娠したクレオを親身になってケアする。彼女らは家族のように見えるし、ソフィアはクレオを家族扱いしているつもりだろう。しかし、2人の女性の間には身分の差が依然としてある。クレオが病院に運び込まれた時、ソフィアの母は彼女のフルネームも生年月日も知らないことがわかる。彼女らにとって、クレオはそういう情報は必要のない存在であり、対等なものではないのだ。2つの世界が同じ空間で別個に展開されているような構造だ。子供たちはその2つの世界を自由に行き来しているようには見えるのだが。そしてクレオとソフィアそれぞれの世界の背景に、当時のメキシコの社会の変動が横たわる。絵巻物のようでいて、重層的な景色が展開されていく。  不吉な予感を感じさせるシーンが非常にわかりやすく、クレオの出産がどのような顛末になるのか、容易に想像できる。これ見よがしと言えばこれ見よがしなのだが、そのわかりやすさが神話のような味わいになっている。帰宅するたびに車をこすっちゃうという最早反復ギャグみたいなくだりも、分不相応なものを使っている(ので買い替えたらこすらない)という比喩みたいでわかりやすい。しかし駐車シーンのたびに他人事とは思えず、フェンダミラー!フェンダミラー気をつけて!とハラハラしてしまった。