1913年、オーストリア=ハンガリー帝国が栄華を極めた時代。トリエステからブダペストのレイター帽子店へやってきたイリス(ユリ・ヤカブ)。この名門店は彼女の亡き両親が経営していたのだ。しかし今のオーナー、ブリルは彼女を歓迎せず追い返そうとする。ブリルや店員に食い下がるうち、イリスは自分には兄がおり、その兄カルマンは伯爵殺しという犯罪を犯したのだと知る。監督・脚本はネメシュ・ラースロー。
 イリスは自分の家族についても、自分が生きる時代についてもよく知らない。映画を見ている側はイリスと同じ視線でこの世界の中を引き回され、翻弄されていく。何か色々なことが次々と起こっているのだが、それをとらえきれず状況に流され、巻き込まれていくイリスの行動はどこか危うい。自分が何に加担してしまったのか、彼女にはわからないままなのだ。
 彼女が巻き込まれているのは第一次世界大戦を目前としたヨーロッパ全体のうねりで、カルマンもブリルも同じく呑みこまれている。が、渦中にいる人たちには、それがどのような波なのか、何が起こっているのかわからない。本作、カメラはイリスにはりついたままで視野がかなり狭いのだが、そのわからなさを極端に強調するための視野の狭さなのだろう。イリスに近すぎて、光景を俯瞰で見られる部分がほとんどないのだ。ブリルがやっていること、彼がやっていることで店の女性達がどういう運命をたどったかを知った上で(大きな犠牲を払いながらも)彼を守ろうとするイリスの行動はちょっと不思議でもあるのだが、それもまた、彼女にことの一部しか見えていないからだろう。
200年近く前の時代が舞台なのだが、女性がさせられていたこと、女性への視線が現代でも大して変わっていない(もちろんそう意図して作劇されているのだが)ことが辛い。女性が「引き倒される」シーンは意図的に反復されていると思う。
 帽子店が舞台なだけあって、登場する帽子はとても美しく華やかで服飾品の細部まで見応えがある。生地の使い方が豪華。当時のファッションに興味がある人にはとてもお勧め。イリスの服がほぼ1着のみで、どんどんよれよれになっていくのもリアル。オールセットに近い環境で撮影しているのではないかと思うが、本作のような作品をオールセットで撮ることができるというのも豪華。

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夢遊病者たち 1――第一次世界大戦はいかにして始まったか
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