ボクサーのビリー・ムーア(ジョー・コール)はタで暮らしていたが、警察から家宅捜査を受け逮捕されてしまう。試合のプレッシャーに耐えられず麻薬に手を出し、中毒患者になっていたのだ。収監された刑務所ではレイプや殺人が日常的に横行しており、「生き地獄」と呼ばれていた。周囲の言葉すらわからず神経を消耗していく中、彼の拠り所になったのは所内のムエタイ・クラブだった。監督・脚本はジャン=ステファーヌ・ソヴェール。
実話(ボクサー、ビリー・ムーアの自伝。ムーア本人もちょっとだけ出演している)が原作だそうだが、タイの刑務所内の環境が色々過酷すぎる。大部屋で数十人が雑魚寝しており、前述の通り傷害、レイプ、殺人は日常茶飯事で刑務官もろくに注意しない。自殺者の遺体を淡々と処理するのがいかにも「日常」ぽくて怖かった。対人関係も怖いのだが、衛生状態がものすごく悪そうで、これ伝染病とか大丈夫なのかな・・・と心配になってくる。
ただでさえ過酷な環境に加え、ビリーはタイ語が全然わからず、周囲とまともにコミュニケーションが取れない。言葉によるコミュニケーションは情報伝達であると同時にセキュリティなんだということを痛感する。周囲が何を話しているのかわからない、なにが起こっているのかわからないというのは、すごく怖いし神経をすり減らすのだ。周囲にしてみても、異民族でタイ語を話せないビリーのことは信用できない(と明言する囚人もいる)わけだ。タイ語のセリフには字幕がほぼつかない(監督の意図だそうだ)ので、ビリーの不安が映画を見ている側にも伝わってくる。ムエタイ・クラブに入ってから、ビリーはようやく表情の動きを見せるようになる。これはムエタイという打ち込めるものが出来たと同時に、ボクサーである彼が身体という共通言語を使えるようになったからだろう。仲間に溶け込んでいく彼の姿は、刑務所というどん詰まりの場所ではあるのに、どこか明るいものを感じさせる。もちろん何かが解決されるわけではないのだが、どこかしらに光がさしている気がするのだ。