奥田祥子著
 管理職への昇進を拒む葛藤、やりがいと低賃金とのせめぎ合い、認められない家庭での働き。それらは女性たちを圧迫するだけでなく、男性に対するプレッシャーにもつながっていく。リサーチ対象を長年にわたって定点観測的に取材し、時代ごとの価値観が大きく変化していく中での個々人の生き辛さ、苦しさは何に根差すのか迫っていく等身大のルポルタージュ。
 著者が男性たちに取材した『男という名の絶望 病としての夫・父・息子』と同じようなインタビュースタイルのルポだが、少々構えたところがあった『男と~』に比べ、取材相手が女性だからか相手との距離感がやや近く、より細かい部分までニュアンスを拾えている感じがする。結構な年数を掛けて取材相手の変化を追うことが出来ているというのも大きい。時間の流れによって、女性の働きにくさ、生き辛さの背景にあるものが見えてくるのだ。面白いのだが、読んでいてかなり辛かった。当事者の努力だけではどうにもならない部分がある。
 女性が活躍できる社会に、と言うのは簡単だが、そもそも何をもって活躍とするのか。果たしてどういう状態を指し、誰にとっての活躍なのか。当人が望む活躍ではなく、その時々の世間が推奨する活躍に過ぎないのではないか。活躍のミスマッチが起きているのだ。本来、人によって活躍したいフィールドは違うだろうし特に活躍したくないならそれはそれで構わないはずだ。更に、仕事にしろ家事にしろ育児にしろ、どれか一つに注力したら他のパートに割くリソースは当然減るわけだが、なぜか全部フル稼働状態が要求され、しかもそのフル稼働状態をサポートするための社会的な仕組みは非常に手薄。女性たち(ひいては男性たち)の苦しさの根っこは社会構造のあり方、「世間」の価値観に根差すもので、個々の問題としてだけは解決できなさそう。もうちょっと楽に生きられればなとつくづく思う。