中国の「大芬(ダーフェン)油画村」と呼ばれる地域は、複製画製作の一大拠点。ここで20年間ゴッホの複製画を作り続けているチャオ・シャオヨンは、いつか本物のゴッホ作品を見たいと願っていた。念願叶って仲間と共にオランダ、アムステルダムのゴッホ美術館を訪れる。監督はユイ・ハイボ-&キキ・ティンチー・ユイ。
 大芬は複製画工房が立ち並び、そこら中で世界中の名画を大小さまざまなサイズで製作しており、正に一大産業。ワン・ビンのドキュメンタリーで縫製業ばかりが立ち並ぶ街を撮影したものがあったが、それの複製画版みたい。街全体が一つの産業に従事しているというケースが中国では多いのだろうか。
シャオヨンは美術を専門に学んだわけではなく(貧しくて中学も卒業できなかったと泣くシーンがある)、絵の描き方も独学。絵の写真を観察し続け何枚も描き続けてきたことで、技法の理解は深い。彼は農村部の生まれだが出稼ぎで街に出、大芬に腰を据えて自分の工房を出すまでになる。食う為の複製製作ではあるが、ゴッホを尊敬しその作品を愛していることが分かる。彼らがゴッホついて熱く語り、映画『炎の人ゴッホ』(ヴィンセント・ミネリ監督、1956)に真剣に見入る姿は微笑ましい。またゴッホ美術館で本物の作品をまじまじと見、「色が違う」等と漏らす様は正に職人。
 しかし、アムステルダムで自分が作った作品がどういう扱いをされているか知り、シャオヨンはへこんでしまう。彼は自分が作っているのは複製画で、芸術家ではなく職人だと自認はしている。それでも職人には職人のプライドがあり、高品質なものを作っているという自負があるのだ。確かにちょっとがっかりな扱われ方で、複製画というものの物悲しさを垣間見てしまった。全く同じものを全く同じ技法で描いたとしても、複製は複製でオリジナルではないんだよなぁ。
 ゴッホの作品を見たシャオヨンは、複製とは(そっくりではあっても)全く違う!と仲間に語り、自分のオリジナル作品を製作してみたいと表現欲に目覚める。根本的に絵を描くことが好きな人なのだ。彼のオリジナル作品が芸術として成功するかどうかとは別の話ではあるのだが。技術があることとオリジナリティがあることはやっぱり違う。とは言え、彼のオリジナル作品(工房を描いたものとか)も素朴で悪くないのだが。職人たちのオリジナル作品が売れるようになってきたという話には、市場の成熟ってこういうことかと思った。名画の複製よりは、無名作家のちょっと感じのいい作品の方が好ましいという価値観が増えてきたのかな。

贋作 (河出文庫)
パトリシア ハイスミス
河出書房新社
2016-05-07


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)
ヴァルター ベンヤミン
晶文社
1999-11-05