ニューヨークの富豪、グッゲンハイム家に生まれたペギー・グッゲンハイムは、伝統を重んじる社交界から逃れるため、20代でパリに単身渡、シュルレアリスムや抽象絵画と出会う。自由な芸術の世界で羽を伸ばしたペギーは、芸術家たちを支援し、画商としてギャラリーを開設。世界的な現代美術のコレクターとして、著名なパトロネスとして成長していく。彼女の肉声を含む、様々なインタビューから構成されたドキュメンタリー。
 新たに発見された本人へのインタビューと関係各所へのインタビュー、当時の映像等からペギーの人生を辿っていくという、オーソドックスな作りのドキュメンタリー。ペギーが支援していた芸術家たちがビッグネーム揃いで圧巻だ。ピカソ、ダリ、ブランクーシ、ポロック、ジャコメッティ、そして彼女と結婚もしたエルンスト。芸術家たちの映像も多数使われており、この人もこの人もこの人もか!と唸る。なぜかロバート・デ・ニーロも出演しているので注目だ。
 ペギーはグッゲンハイム一族としてはさほど裕福ではなかったそうだが、それでも世間一般からしたら富豪だ。そして、その富の使い方を間違わなかった。ペギーがパリに渡った当時、シュルレアリスムはまだ価値を認められていなかった。そこにいち早く着目し、その後も美術史の最先端で芸術界をリードし続けた。彼女の眼力と作品を扱う商才はずば抜けていたのだろう。そこに経済力がプラスされて、歴史に残るコレクターとなり、その集大成がベネチアのグッゲンハイム美術館なわけだ。芸術、特に新しい芸術には良きパトロンが必須だと痛感させてくれる作品だった。
 ちょっと驚いたのは、ペギーは元々美術に興味があったわけではないということだ。パリの芸術家たちの自由な世界と肌が合い、その中に親しむうちに素養が蓄積されていったということらしい。ペギーは10代の頃から当時の女性としては大分風変りだったそうだ。当時の上流階級の女性にとって身を立てる道と言ったら、社交界の花になり他の名家の子息と結婚するくらいしかなかっただろう。そんな習わしに対する反発から書店で働いていたというから、当時としては相当型破りだ(グッゲンハイム家レベルの名家の娘が町で働いていたら恥さらし呼ばわりされるだろう)。
 いわゆる美人ではないが非常に魅力のある人だったそうで、芸術家たちとのスキャンダルが絶えなかったし、本人も特にそれを隠そうとはしていなかった。後に自伝で寝た相手をほぼ全員実名公開してしまったそうで、大変バッシングを受けたが、本人あまり気にしていなかったというのも面白かった。他人がどう見るかより自分がどうしたいのかだ、と行動する一方、コレクターとしての自分に対する評価には敏感だった。承認欲求が強く、パトロネス、コレクターとしての活動はそれを埋める為のものだったのではと話す関係者もいた。もし彼女が現代に生きていたら、美術分野にはいかなかったのではないかとも思う。商才のある人だったそうなので、ビジネスの世界でぶいぶい言わせていたかもしれない。当時は女性、特に上流階級の女性がビジネスの場で活躍する機会はあまりなかっただろう。そう思うと、彼女のコレクションは後世にとっては大きな遺産だが、ちょっと複雑な気分にもなる。
 諸々について気にする所と気にしない所のちぐはぐさが面白い人だったのではないか。自宅で振舞われるランチがとにかく不味いというのには笑ってしまった。ケチだと言う人もいたが、食に対する興味が極端に低かったらしい(あれだけのコレクションを作ってケチということは有り得ないだろう)。

ペギー―現代美術に恋した“気まぐれ令嬢”
ジャクリーン・ボグラド ウェルド
文藝春秋
1991-01