大阪で暮らす朝子(唐田えりか)は麦(東出昌大)と出会い恋に落ちる。しかしある日、麦は姿を消した。2年後、東京へ引っ越した朝子は麦とそっくりな亮平(東出昌大2役)と出会う。麦のことを忘れられない朝子は激しく動揺するが、亮平は朝子に好意を抱いていく。原作は柴崎友香の同名小説。監督は濱口竜介。
 朝子と麦が初めて出会い向き合うシーン、ザ・運命の出会い!もう恋に落ちる以外ありえない!的演出で、あっこれを堂々とやるのか!と逆に新鮮だった。一方、亮平との出会いでは、二人が向き合うまでの時間、助走の部分がある。最初から麦と亮平は違ったわけだ。劇的な出会いだったから想いが持続するというわけでもないだろうが、朝子は同じ容姿という部分に引っ張られてしまう(と自分で思い込んでいる)。
 朝子のある種のバカ正直さとでもいうか、自分に対する誠実さ、嘘のなさが面白い。彼女は周囲にもそうした誠実さで接しようとするが、それは相手を傷つけたり周囲をかき回したりすることにもなる。「それ言って幸せになる人いないよ」と言われても、自分にとって事実であるなら、嘘はつけない。世間の人は多少自分を押さえて場をとりなすようなことをできるものだろうが、彼女にはそういう面が希薄だ。逆に亮平はそういった場のとりなし、雰囲気の作り方が大変上手く、気遣いの人であることがよくわかる。朝子の友人である春代(伊藤沙莉)やマヤ(山下リオ)も同様で、押しなべて良識的。社会性が高いとも言える。朝子は自身でも言うように「自分のことばかり」なのだ。それが悪いというのではなく、自分に忠実であろうとするところが彼女のいい所だと思うのだが、時に自分と「彼」に集中しすぎて世界から断絶されているように見える。
 幽霊譚のような、ちょっとホラーめいた怖さも感じた。過去の一点がずっと追ってきて離れない。終盤の亮平にとっての朝子もまた、そういう存在になっているのかもしれない。麦の人間ではない何かであるような立ち居振る舞いもまた不気味だった。東出が二役を演じているが、同じ顔だが違う人に見えるし、何だったら同じ顔に見えないようにも思った。
 登場人物それぞれの「その人」としての佇まいや動作の手応えが素晴らしい。台詞や分かりやすい顔の表情がなくても、振舞い方でエモーショナルな部分、この人はどういう人かという部分が伝わってくる。とにかく行動設計が上手いなという印象。どの俳優もとても良かったのだが、亮平の同僚である串橋役の瀬戸泰史があるシーン以降とても良くて、こんなに出来る人でしたか!とびっくりした。これは監督の演技指導の腕でもあるのだろうか。


寝ても覚めても: 増補新版 (河出文庫)
柴崎友香
河出書房新社
2018-06-05