函館郊外の書店でアルバイトをしている「僕」(柄本佑)は、失業中の静雄(染谷将太)と同居している。「僕」が同僚の佐和子(石橋静河)と付き合い始めたことで、3人で遊ぶようになる。ビリヤードやダーツに興じ、クラブに通い、夜通し酒を飲む。しかし3人の心地よい関係にも変化が生じ始める。原作は佐藤泰志の同名小説。監督は三宅唱。
 作品全体にリズム感がある。劇伴としての音楽の量はそれほど多くはない、むしろ無駄な音楽は使っていない印象なのだが、映画全体が音楽的とでも言えばいいのか、編集が的確なのか、一定のリズムで流れ進行していく感じがして気持ちいい。劇伴、音声、生活音等、音全般の扱い方が上手い作品だ。ボイスオーバーを多用しているのだが、声の大きさや聞こえる方向の変化で、画面に映っている人との距離感が何となく変わってくるように感じられた。
 また、3人がクラブでライブを見るシーンがあるのだが、最近見た日本映画に出てくるクラブの中では一番ちゃんとクラブっぽく、佐藤泰志作品の映像化作品の中でも突出して「今」を感じさせる。地方都市の小さいハコでちょっといいパフォーマンス見て気分が上がってふわふわしている感じがすごくよく出ていた。佐和子の踊る姿には、ごく普通の人が音楽と体を動かすこととのシンプルな楽しさが滲む。なお佐和子がカラオケで熱唱するシーンもあるのだが、歌が上手い!石橋は演技以外の表現力も豊かであることが窺える。
 「僕」と静雄、佐和子の関係は、いわゆる三角関係とはちょっと違う印象を受ける。「僕」は佐和子に静雄と付き合うように勧め、お互いに束縛しないでいようというスタンスだ。3人でじゃれあっていること、佐和子と気楽にセックスすることが楽しいのだ。彼のスタンスは無責任と言えば無責任なのだがそれ故軽やかで気楽。佐和子はそこに惹かれたのだろう。
 とは言え、2人のスタンスがいつまでも一致しているわけではない。「僕」は軽やかで自由に見えるが、その生き方からは「今この時」しか感じられない。「今」より先が見えないのだ。「先」を見始めた、あるいは見ざるを得ない静雄や佐和子とは自然とずれていく。佐和子や静雄には軽やかになりきれないしがらみがあることが提示されるが、「僕」にそれはない。最後の「僕」の行動は、彼が自分のスタンスを曲げて一歩踏み出した、ルートを変えたかのように見える。佐和子たちに追いつくのかはわからないけれども。

きみの鳥はうたえる (河出文庫)
佐藤 泰志
河出書房新社
2011-05-07


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2011-11-03