アメリカ、ミズーリ州の田舎町で、少女がレイプされ殺される事件が起きた。母親のミルドレッド(フランシス・マクドーマンド)は犯人を特定できない警察に業を煮やし、抗議の為に町はずれに巨大な広告看板を設置。警察署長のウィロビー(ウッディ・ハレルソン)や巡査のディクソン(サム・ロックウェル)は反発を隠さず、町の住民とミルドレッドの間には深い溝が生まれていく。監督はマーティン・マクドナー。第74回ベネチア国際映画祭脚本賞受賞作。
 すごく面白い!のだが何がどう面白いのか説明するのがすごく難しい・・・。映画や小説のあらすじで、よく「思いもよらぬことに」という文の締め方を見るけど、本当にそういう感じだった。色々な伏線が絡まり合って見事な絵図を描くというのではなく、様々な線が並走していて勝手に色々な方向に走っていく感じだ。そして個々の出来事の関連だけではなく、個々の登場人物の心の中でも様々な線が並走し、時にこんがらかるのだ。
 ミルドレッドの悔しさや正義感は一見真っ当だが、それを表明する行動はかなり極端だ。しかし彼女の行為が極端になる背景には何があったのか、単に「娘が殺されて悔しい」以上の悔恨、自責の理由が見えてくる。一方、ミルドレッドと対立しているかに見えたウィロビーは基本的にまとも、いやまともすぎる(本作の中ではそのまともさがむしろ嘘くさく見えてきちゃうくらい)ような人で、彼は彼なりに尽力はしており、病気を抱えている不安もある。ただ、尽力も病気も犯人逮捕できないことの言い訳にはならない。それは当人もわかってはいるのだろうが。
 クレイジーというよりも始末に悪いのは巡査ディクソン(サム・ロックウェル)。ミルドレッドは「警察は黒人いじめばかりしていて事件を捜査しない」と言うが、その黒人いじめをしている筆頭が彼だ。バカが暇を持て余しかつ多少力を持つとろくなことがないということを体現しているような男で、思慮がないし差別的だしすぐかっとなる。単純にマッチョというよりも、母親離れ出来ず、コミックを手放せない子供のような人物だ。ウィロビーへの過剰な傾倒は子供が父親を求めているようでもあり、自覚のないセクシャリティの発露のようでもある。そしてある出来事によって、彼は予想外の一念発起をする。
 どの登場人物も造形が一様ではなく、多面的で矛盾をはらんでいる。ミルドレッドがジェームズ(ピーター・ディンクレイジ)に意図せず暴言を吐いてしまうシーンにははっとした。フラットなつもりでいても、何かの拍子にこういう視線が出てしまう。反対に、入院中のウェルビー(ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)がある人物に対して行う行為には、理性によるぎりぎりの思いやりを見た。怒りが消えたわけでも許したわけでもないが、意思の力で抑えることはできる。このシーン、ジョーンズの演技もとてもよかった。ほんとうにぎりぎり、ウェルビーが自分にとっての人としての一線を保つ為に懸命だということが伝わるのだ。作中で吹き荒れる怒りや理不尽さに対して、ささやかながら一つのカウンターになっていたと思う。

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