1994年、アメリカに住む歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)は、自著の中でイギリスの歴史家デビッド・アービング(ティモシー・スポール)が唱えるホロコースト否定論を、真向から否定する。アービングはリップシュタットの講演会に現れ彼女を非難、更に名誉棄損で彼女を提訴する。イギリスの司法制度では訴えられた側に立証責任がある。リップシュタットはイギリスの弁護団と共に裁判に臨む。監督はミック・ジャクソン。
 訴えられた側に立証責任があるというイギリスの裁判制度には奇妙に思えるし、当然リップシュタットも戸惑う。そもそも、歴史上の事実として確固としているものを、偽造された歴史と並べてどちらが正しいか証明しろというのも変な話なのだ。とは言え、リップシュタットに「放っておけば世間は忘れるから示談しろ」という人もいるが、リップシュタットは拒否する。放置しておけば、放置していてもいいものとして認識されかねない。ねつ造は許されないとその都度正していくことが、歴史学者の勤めだということだろう。
 アービングは話がうまく、かつ言葉で相手を煽り動揺させる。リップシュタットの弁護団は、アウシュビッツの実在を証明するのではなく、アービングの著作の間違いや矛盾点を積み重ね、彼が意図的にホロコーストはなかったと偽装しようとしたと証明しようとする。リップシュタットによる直接的な反論や、ホロコーストの生存者達の証言は扱わないことにするのだ。このやり方は歴史研究者であるリップシュタットの意に沿うものではなく、生存者らを傷つけるものでもある。アービングの自説は死者と生存者らの存在を否定するものだが、弁護団のやり方もまた、彼らにとっては「否定」と受け止められかねない。弁護団のやり方がまずいというのではなく、歴史研究者の振る舞いと法律家の振る舞いとには差異があるのだ。リップシュタットや生存者らをアービングと同じ土俵に上がらせないことこそが、弁護団の倫理であり誠意である。リップシュタットと担当弁護士ランプトン(トム・ウィルキンソン)、ジュリアス(アンドリュー・スコット)は激しく言い合うが、彼らの道義の有り様に気付いたリップシュタットは、徐々に彼らを信頼していく。リップシュタットの振る舞いは一見口うるさく面倒くさい人のようなのだが、彼女が自分の良心と責任に忠実であり、他人任せにすることを忌避するからだ。そんな彼女の「良心を預ける」という言葉は非常に重い。
 一見「面白いおじさん」であるアービングの中の差別意識がどんどん明るみに出てくるのだが、差別主義者って自分が差別主義者であるという自覚はあんまりないんだろうし、それを改める気もないんだなと茫然とする。アービングは女性差別的な発言も頻繁にするのだが、それが女性差別だとは全くわかっていないようだ。これはアウトだろ!という言葉を報道陣の前でぽろっと言っちゃうしなぁ。

否定と肯定 ホロコーストの真実をめぐる闘い (ハーパーBOOKS)
デボラ・E リップシュタット
ハーパーコリンズ・ ジャパン
2017-11-17