テジュ・コール著、小磯洋光訳
 若い精神科医である私は、マンハッタンを歩き回る。老いた恩師や偶然出会った幼馴染との交流、日々面談する患者たちとのやりとりと、アメリカ同時多発テロを経たマンハッタンという町、そして故郷であるナイジェリアの歴史と文化が交錯していく。
 散歩をしている時が一番考え事をしやすいという人は一定数いると思うが(私もだが)、「私」もそうした1人なのだろう。散歩小説とでも言いたくなる。もちろん恩師を見舞ったり、旅行に行ったりと色々なことをしているのだが、それらをリアルタイムで語るのではなく、後々散歩しながらつらつらと思い出していくようなスタイルだ。自分の体験やその時の思考の流れと、語り口とに一定の距離感があり、個人的な事柄も歴史的な事柄も並列され、繋がっている。観察者としての視点が強いのだ。しかし語り手が観察者に徹していられるほど、この世界はシンプルではない。突如として暴力にさらされ、また自身が加害者になり得る。「私」は被害者としての自分については客観的に言及するが、加害者としての自分には一切言及しない。この差が、観察者に徹する事が不可能であるということであり、その言及のなさはショッキングでもあった。それに言及していくことが歴史を学ぶということでもあるのだろうが、「私」はまだそこに至っていないのだ。