アルマン・ルーラン(ダグラス・ブース)は画家ヴィンセント・ファン・ゴッホと懇意にしていた父、郵便配達人ジョゼフ・ルーラン(クリス・オダウド)から、ゴッホから弟テオ宛の手紙を託される。テオに手紙を渡すためパリに出向いたアルマンだが、テオは既に亡くなり家族の引っ越し先もわからなかった。家族の居所を知るべく、やはりゴッホと懇意にしていたガシェ医師(ジェローム・フリン)を訪ねるうち、アルマンの中で自殺とされていたゴッホの死に対する疑問がつのっていく。監督はドロタ・コビエラ&ヒュー・ウェルチマン。
 ゴッホの絵画がまさにそのまま動き出すようなアニメーション。茟のタッチひとつひとつまでとにかく「ゴッホぽく」再現されている。俳優が演じた実写映像を油絵に描き起こし、実に約6万5000万枚の油絵で作られたアニメーション。よくこれをやろうと思った、そして実現したなと唸らざるを得ない。ゴッホが肖像画を描いた人たちが会話し活動し、絵の中の風景を動き回る様にはやはり感動する。すさまじい設計力と執念だと思う。
 とは言え本作、このすさまじい絵作りで何を表現するか、という所までは作り手の意識が行き届いていないように思える。描かれる物語は果たしてこれでよかったのか、非常に疑問だった。本作の舞台となるのは概ねゴッホの死後だ。ゴッホの絵は当然、ゴッホは世界をこのようにとらえた、このように表現してみようと思ったという。であれば、ゴッホのタッチで描くならゴッホが今まさに見ている世界、ゴッホが生きている間の世界であるべきだったのではないだろうか。本作ではゴッホ生前の様子は白黒のいかにも実写から書き起こしたという写実的なタッチ、ゴッホの画風とは異なるタッチで描かれる。技法の使い方逆になっていない?と違和感を感じた。
 また、ゴッホの死を巡る謎自体も、映画として取り上げるには正直今更感が強い。このあたりは諸々研究されてきた部分だろうし、諸説出尽くしているだろう。それらを踏まえてドラマ化するのはいいのだが、ドラマをゴッホの絵でやる必然性が薄い。死の真相とは客観的なもので、ゴッホの主観ではない。ゴッホのタッチはゴッホの主観でこそ使われるべきだったのではないかと思う。大変な労作なのだが、技法と内容がかみ合わずとても勿体ない。

ファン・ゴッホの手紙【新装版】
フィンセント・ファン・ゴッホ
みすず書房
2017-07-08




ゴッホの耳 ‐ 天才画家 最大の謎 ‐
バーナデット・マーフィー
早川書房
2017-09-21