ロシア人少女ポリーナ(アナスティア・シェフツォワ)は厳格な恩師ボジンスキー(アレクセイ・グシュコフ)の元でバレエを学び、ボリショイバレエ団への入団を果たす。しかしコンテンポラリーダンスと出会い、ボリショイでのキャリアを捨てフランスのダンスカンパニーへ入団するが、自分の踊りに行き詰まりを感じ始める。原作はバスティアン・ビベスのグラフィックノベル。監督はバレリー・ミュラー&アンジェラン・プレルジョカージュ。
 ポリーナは何かと行動が速い(悩む部分を省略した演出でもあるわけだが)。踊りの方向性を変えるのも、パリやアントワープへ拠点を移すのも、特に貯金があるわけでもなさそうだし、誰かに相談したわけでもなさそう。それでも自分にとってきっとこれが必要だからやる、という感じで、決して人嫌いではなさそうだが、自分の中で完結する思考方法の人に見える。特にダンスの場合、(素人考えだが)自分自身と向き合わざるを得ない内容だろうから、他人に相談してどうこうなるものでもないのかなと思った。パリへ向かう際、娘がボリショイでプリマになることを夢見ていた母は泣く。また、アントワープで彼女と会った父親は、バーでバイトをする為に来たのかと彼女をなじる。ポリーナは反論はするが、強くぶつかり合うことはない。自分がやろうと思ってやったことだから、今更ぶつかり合う必要もないのだろう。両親と仲が悪いわけではない(むしろ良さそうだ)が、両親とは言え自分の領域に立ち入るべきではないという態度がはっきりしていた。これはその時々の恋人に対しても同様で、休みだしもうちょっとベットにいようと引き留められてもレッスンしたいからとさっさと出かける姿が印象に残った。こういう時に揺れない人なんだなと。
 彼女は基本的に自分本位で行動するが、そうであっても自分のダンスがどのようなものなのか、何が向いているのかは掴みきれずにいる。古典を踊っても何かが足りず、かといって古典からはみ出すほど個性が強いという感じでもない。一方、コンテンポラリーの師であるリリア(ジュリエット・ビノシュ)から見ると「古典向き」。そもそも、ポリーナがダンサーとしてどの程度傑出しているのか、才能があるのか、いまひとつはっきりとしない描き方なのだ。いわゆる天才の話ではない。天才ではないから、もがくしかない。自分のスタイルが掴みきれないからこそ、次のスタイル、次のスタイルへと模索していくのだ。じっと考えるのではなく、移動しつつ動きつつ考えている感じが、ダンサーっぽいなと思った。まず身体ありきなのだ。
 ポリーナは最後にあるスタイルを掴むが、その元となるイメージが子供の頃見た幻影のようなものである所が面白い。そこから更に、最初の師であるボジンスキーと向き合う。彼女にとってのボジンスキーはそういう存在なんだなと腑に落ちた。原風景に立ち返ることが、自分の核を掴むことに繋がるのだ。

ポリーナ (ShoPro Books)
バスティアン・ヴィヴェス
小学館集英社プロダクション
2014-02-05