1945年、第二次世界大戦終結直後のポーランド。赤十字の医療活動として赴任中のフランス人医師のマチルド(ルー・ドゥ・ラージュ)は、修道女に助けを求められる。ソ連兵の暴行により7人の修道女が妊娠し、信仰と現実の板挟みになり苦しんでいた。マチルドは修道院長の反対にあいながらも医者として修道女たちを助けるために修道院に通い、徐々に修道女たちの信頼を得ていく。監督はアンヌ・フォンテーヌ。
 マチルドの両親は共産主義者で、当人も無神論者と言わないまでも特に信仰に拘りはない様子。彼女から見れば、修道女たちの信仰の姿勢、現実と信仰との折り合いのつかなさで苦しむ様は、ぴんとこないものだろう。彼女は肌を見せること、人に触られることを忌避して診察すら拒む修道女に「信仰はちょっと脇に置いて」と言うのだが、それが出来ないのが信仰というものなのだろう。修道女たちも、自分たちの生き方は理解されにくいだろうというのは重々承知だ。
 マチルドが彼女らの生き方を理解する、積極的にそこに参加することはないのかもしれない。それでも彼女は、考え方・生き方は違うが医者として、助け合うことができる存在として、修道女たちに寄り添っていく。マチルドの機転により間一髪でソ連兵を退けた後の修道女たちの安堵感、高揚感は、見ている側もああよかった!と手足の先が暖まっていくように伝わってくる。主義主張とは別の所での理解や共感がそこにあるように思う。マチルドと同僚の男性医師とのやりとりにも、似たものを感じた。2人はセックスはするが恋仲というわけではないだろうし、赴任地を離れたら再会することもないのかもしれない。しかしそこには共感と思いやりがある。
修道女たちも様々で、一様ではない。修道院に入る前には恋人がいたという人もいるし、世の中のことを全く知らないまま修道女となった人もいる。生まれてくる赤ん坊を慈しむ人もいるが、人に託して修道院を去る人もいる。どの道が正しいかということではなく、その人個人にとって何が最適なのか、その人が何を「良い」と思うのかなのだろう。
 それにしても、修道女たちに襲いかかったもの、それを追体験するようなマチルドの体験を目にすると、カッと腹が立つ(どころではない)し怖くなる。そんなことがまかり通っていいのか!とわめかずにいられない気分だ。戦争の副産物としてつきもの出来事だが、戦時下=異常な状況だからってわけではなく、その芽は日常に見え隠れしている、それが表に出てきたということだろうから。

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