15歳の高校生ピーター・パーカー(トム・ホランド)はクモのような特殊能力を持ち、スパイダーマンとしてご近所の平和を守っていた。アイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)から特性のスーツをもらい、ベルリンでアベンジャーズ同士の闘いに参加したピーターは、自分もアベンジャーズの一員になれると期待するが、トニーはピーターを子ども扱いして諌める。彼に認められたいピーターは、スターク社を敵視する謎の武器商人バルチャー(マイケル・キートン)を一人で追い始める。監督はジョン・ワッツ。
  私はサム・ライミ監督によるスパイダーマン三部作(ピーター役はトビー・マグワイヤ)が大好きなのだが、本作はそれとはまた違った、非常にティーンエイジャーらしいスパイダーマンで、これはこれですごく楽しかった。実際ピーターの設定年齢は下がっているのだが、言動が実に年相応。頭はいいのに思慮が足りなくて、やる気が空回りし失敗する(だがへこたれない)。注目されたいが自信がない、何者かになりたいが何者になれるのかわからない、誰かに認めてもらいたくてしょうがないというエネルギーが溢れている。ピーターは学校での自分はダサい奴で、スパイダーマンとしての力がなくなったら何もなくなると思っている。しかし実の所、彼の頭の良さは同級生も認める位には際立っており、これだけでも将来有望と言えるだろう。親友だっているし、両親はいないがメイおばさん(マリサ・トメイ)から深く愛されている。スパイダーマン部分なくてもアドバンテージ高いじゃん!と客観的には見える。これが必ずしも自己評価に繋がらない、自分を客観視できていないところがティーンっぽいし、学園ものっぽいなぁと思った。学校でのヒエラルキーって、勉強のでき具合と必ずしも比例しないもんね・・・。まずはルックスがそれなりでコミュニケーション能力高い人が有利だからなぁ・・・。
 スパイダーマンが活躍するのは「地元」であり、「隣人としてのヒーロー」というコンセプトであることが、最後まで一貫している。ピーターの最後の選択は、そういうことなのだ。これはアイアンマンに対するカウンターにもなっており、アベンジャーズシリーズと隣接しつつもちょっとスタンスが異なる作品なんだなとわかる。アイアンマン=スタークやソーは多分、弱い者・持たざる者に寄り添うことは出来ない(何しろ2人とも「持ってる」状態しか経験してないからな・・・)。本作の敵役であるバルチャーはスターク(が象徴・所属するもの)への強い反感・敵意を抱いているが、ピーターはむしろバルチャーと同じ側、市井の人間の側で生きてきた存在だ。だからこその闘いの結末ということだろう。スパイダーマンは彼の「隣人」でもあるのだ。
 今回、スパイダーマンのお目付け役、保護者役的なアイアンマン=スタークだが、裏側から見るとスタークが父親をやろうとする(が頓挫する)物語にも見える。スタークの大人として振舞い、勢いづくピーターを自重させようとする行動は概ね妥当ではあるのだが、どうも扱いあぐねている感が否めない。元々、スタークの対人スキルはあまり高くないということはアイアンマンシリーズで露呈しているが、年少者の振る舞い方のモデルが頭の中にない人なんだろうなと。逆に、相手が子供ではないと認識すればもっと適切な距離の取り方が出来るのかな。

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