元音楽教師のヴィンフリート(ペーター・ジモニシェック)とコンサルティング会社勤務のイネス(ザンドラ・ヒュラー)は今一つうまが合わない親子。多忙すぎるイネスを心配したヴィンフリートは、突然彼女の元を訪れる。しかしなぜか別人“トニ・エルドマン”として。職場やパーティー会場にまで押しかける“トニ・エルドマン”にイネスのイライラは募っていく。監督・脚本はマーレン・アデ。
 どちらかといえば渋い映画っぽいし、ほろ苦いヒューマンドラマ的な作品かなと思っていたら、まさかこんなに笑えるとは!確かに地味にじわじわくる感じの面白みが主体なのだが、後半、イネスの誕生パーティーに破壊力がありすぎて客席がどっかんどっかん沸いた。このシーン、一歩間違うとちょっと笑えないというか、セクハラ・パワハラになりかねないような構造なのだが、そこで笑いにちゃんと持っていくバランス感覚の良さがある。
 バランス感覚という点では、ヴィンフリート=トニ・エルドマンとイネスと、対照的な2人のどちらにも入れ込み過ぎない、肯定も否定もしないという距離感のバランスも良かった。ヴィンフリートがイネスを心配しているのは分かるが、彼の娘へのコンタクトの仕方は得てして一方的で、娘からしてみれば鬱陶しい!迷惑!と怒鳴りたくなるものだ。相手の状況を鑑みず自分がよかれと思って行動するので、イネスにとっては癇に障るばかり。一方、イネスはハードな仕事に邁進しており、生活は分刻みで携帯電話が手放せず、(トニ・エルドマンではなくヴィンフリートとして)訪ねてきた父親を適当にあしらう時間さえない。彼女の目下の仕事は企業にとっての「汚れ仕事」「憎まれ役」であり、そのことに対する葛藤も抱えている。イネスが仕事は出来るが要領がいいというわけではない、根が生真面目な部分がそこかしこに見え隠れし、何だか痛々しくもあった。
 2人は対照的な父娘で、お互い別の世界で生きている。多少歩み寄りはあるが、許容はするが理解はしきれないだろう。ヴィンフリートがイネスの仕事先の現地スタッフに対する処遇に抗議するのも、彼がよそ者であり当事者ではないから言えることだ。とは言え、反目しあうばかりではなく、イネスが急にトニ・エルドマンのでたらめさに自分の行動を合せて来たり、嘘に乗っかってきたりもする。この距離の詰め方が何となく親子っぽいし、イネスのユーモアを感じさせる部分でもある。ヴィンフリートとイネスは、おそらく価値観が違うままだし多かれ少なかれずっとぎくしゃくするだろう。それでも、2人の間に通い合うもの、親子として培ってきたものは確かにある。愛は単純ではないのだ。父と娘の物語だけど、全然甘美さを漂わせないあたりも、注意深く対象との距離を測っている感じだった。