視覚障害者向けの映画音声ガイド製作を仕事にしている美佐子(水崎綾女)は、音声ガイドの試作モニターの1人だった雅哉(永瀬正敏)と知り合う。雅哉の批判は言葉はきついものの、的を得たものだった。元カメラマンの雅哉は弱視の為に仕事は引退したが、更に視力が失われていくことに苛立ちと恐怖を募らせていた。監督は河瀬直美。
 冒頭、美佐子が作る音声ガイドの最初のバージョンを聴いていると、最後の部分の文章に違和感を感じる。すると、その違和感そのものを雅哉が指摘する。これは美佐子と雅哉という、全く別個の人間同士がコミュニケーションの壁を越えていく様を描いていると同時に、映画を見るという行為を描いている作品でもあるのだ。雅哉の批判は、視覚障害者の世界を理解していない美佐子への批判であると同時に、映画を見るという行為の幅を狭めてしまう美佐子のガイド=映画解釈への批判にもなっている。美佐子のガイド作成は、どこを説明してどこを割愛するのかという、文章量の調整に四苦八苦する。ともすると彼女の主観に寄りすぎ観客にとっては窮屈なものになる。反対に簡潔すぎると十分な情報が観客に伝わらない。一番最初に出てくる彼女のガイドは、ちょっと彼女自身の主観が入りすぎだ。
 とはいえ、映画を見ること、解釈するということは、常に見る側の主観が入る。自分が望むものを映画の中に見てしまうのだ。それは美佐子も雅哉も同じで、彼らが映画の中でひっかかる部分に、それぞれが抱える屈託や問題が垣間見えてくる。
 作中映画の監督(藤竜也)に美佐子が取材するシーンがある。美佐子は映画のラストにはっきりとした希望、明るいものを見出したい、これはそういう映画ではないのかと問う。監督ははっきりとした答えは言わず、あなたが(作中映画の)主人公にそれを見出してくれるなら嬉しいとだけ言う。多分、監督はある程度はっきりとした答え、解釈を持ってはいるのだろう。ただ、映画を見る観客にそれを明示はしない。それをしないのが映画の送り手としてのつつしみであり矜持であるのではないか。映画は作った人のものであると同時に、見た人のものでもある。
 河瀬監督の作品を見るのは久しぶりだったのだが、こんなにわかりやすい映画を撮るようになったのかと驚いた。本作は音声ガイドという素材の都合上(本作自体も音声ガイド対応している)、言語化される部分が多いのでよけいにそう感じられたのかもしれない。

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