ジュリー・オオツカ著、岩本正恵・小林由美子訳
 20世紀初頭、相手の写真だけを頼りに日本からアメリカへ嫁いで行った「写真花嫁」たち。写真は全くの別人、現地では過酷な労働が待っていることも多々あったが、少しずつ、つつましやかではあるが生活は軌道に乗っていく。しかし日米開戦と共に日系人の強制収容が始まる。
 「わたしたち」という主語により語られる物語。「わたしたち」は嫁いで行った大勢の娘たちの声の総体であり、一つの声のようでいて多種多様なあり方を見せる。語りが合唱のようなハーモニーを形成しており、大きな声のうねりとなっていると同時に、実は「わたしたち」というものはなくて「わたし」が大勢いる、同じ「わたし」はいないのだと感じさせるのだ。対して、最後の章の「わたしたち」のみ、日系女性たちではなく、彼女らが町からいなくなった後に残った住民たち、日系ではないアメリカ人たちを指す。こちらは個人の声の総体ではなく、「わたしたち」という大きな主語の影に個人が隠れている。「わたしたち」は関わったが「わたし」は関わっていないというように、「わたし」という個人の要素を薄めているという対比がなされているように思う。「わたしたち」という主語のあやうさを含む機能を味わえる作品。