生身の肉体の「義体」への置き換えが進む未来。全身義体化する技術の成功例だが自身の記憶の殆どを失くした「少佐」(スカーレット・ヨハンソン)は、公安9課の捜査官。サイバーテロ事件を追う中で、義体化前の記憶が少しずつ呼びさまされてくる。監督はルパート・サンダース。
 士郎正宗の『攻殻機動隊』を原作とした押井守監督のアニメーション映画『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』のハリウッド版リメイク。原作漫画は知らなくても問題ないが、押井版は見ておいた方がいいかもしれない。ストーリー上云々というよりも、本作、押井版攻殻が好きでたまらない人があのシーンやこのシーンを実写で再現したい!という一念で作ったように見える。あまりにそのまんまでびっくりしたシーンがいくつかあった。原作へのリスペクトってそういうことか?映画としてそれでいいのか?と疑問には思うが、てらいながさすぎて強く非難する気にもならないんだよな・・・。あー本当に押井監督作品好きなんだなってことはよくわかる。アパートの名前とか、犬の名前とか、そこまで目配せしなくてもいいんですよ!って気分にはなったが。ある種のファンレターと言えなくもないが、これ貰った方も微妙だよな・・・。
 本作中の日本の都市の造形は、今のSF映画(や小説など)の傾向からするといわゆる「なんちゃってTOKYO」風で古臭くもある。巨大な広告ホログラムやゲイシャロボット等、あえて悪趣味、キッチュな方向に振った造形なのだろうが、こういういかがわしさ、怪しさが好きな層は一定数いると思う。私もヘンテコな漢字とか蛍光色のネオンサインとかスラム風の市場とか、嫌いではない。リドリー・スコット監督『ブレード・ランナー』の影響が今現代まで続いているということを実感した。あれが一つの型になっているんだろうなぁ(押井版ももちろん、その影響下にあるわけだし)。
 ストーリーは押井版に則った上でオリジナルの設定、展開を入れたものだが、人間の身体、記憶に対する価値観は真逆と言ってもいい。本作では、この身体を通した体験・記憶にこそ価値があるという方向性で、押井版ほど抽象的な方向にはいかない。本作の作家性なのか、それともハリウッドのエンターテイメントとしてはこのあたりが妥当だという判断なのだろうか。本作の時代設定が、おそらく押井版よりももうちょっと前になっていて、全身義体に付加価値が高いというのもポイントか。義体のオンリーワン性が高い(だからわざわざ美しいスカーレット・ヨハンソンのボディなのかと)。義体開発者のオウレイ博士(ジュリエット・ビノシュ)が少佐の義体に愛着心を持つのも、そういった背景があるからだろう。まだ、(人工のものであれ)「身体」に対する信頼、執着が強い世界なのだ。
 ストーリーは大分ユルいし、SFとしても作品世界の科学技術の度合いとか組織の構成とか、行き当たりばったり感は否めない。もうちょっと頑張ればいいのに(特に少佐の元の体を巡る経緯は、より掘り下げられそうな部分ではある)と思わずにはいられない。ちょっと色物っぽい作品ではあるが、カルト的に一部で愛される、というか嫌われなさそうな気がする。なお日本人キャストについて、ビートたけしの佇まいは見ていてちょっと笑っちゃいそうになったが、桃井かおりが好演していて、予想外の良さがあった。