1950年代初頭、第二次大戦終結によりドイツによる支配からは脱したものの、今度はソ連占領下に入り、スターリン政権下にあったエストニア。エンデル(マルト・アバンディ)はソ連の秘密警察から逃れ、田舎町の小学校教師として身をひそめていた。フェンシング選手だった彼は子供達にフェンシングを教えるが、校長は彼の素性を怪しむ。着実に上達していく子供達はレニングラードで開催される全国大会に出たいとせがむが、エンデルにとってレニングラードに出ることは、逮捕されかねない危険な行為だった。監督はクラウス・ハロ。
淡々と進む作品なのだが、終盤でいきなりスポ根的な演出が見られ、気分が一気に盛り上がる。子供達の勇気が発揮される場面であると同時に、エンデルにとっても自分の人生を賭け勇気を振り絞る、彼が自分の人生を選ぶシーンなのだ。
 エンデルはそもそも、教師になろうと思っていたわけではない。なりゆきで小学校に勤めるようになっただけで、子供は苦手だし教え方もわからない。序盤、子供達が授業で跳び箱を飛んでいる。上手に飛べた子供がぱっとエンデルの方を見るのだが、エンデルは他所を見ていて気付かない。子供が微妙にがっかりした顔をするのだ。子供達の見てほしい、気にかけてほしいという欲求や不安感を、彼はいまひとつわかっていないのだ。加えて戦争で若い男性が駆り出されていた為、父親のいない子供が多い。父親的な存在に飢えているので、よけいにエンデルを慕うのだろう。フェンシングによって彼らの苦しさが減るわけではないが、一生懸命学ぶこと、何かに夢中になることが、気持ちを支えていくことにもなるのだ。
 最初は子供は嫌いだと言っていたエンデルも、子供達と接するうちに、本気で教師として振舞うようになってくる。子供達にとって「教師」であり、模範とすべき「剣士」である為、自分の人生を賭けるまでになる。町にやってきた時からしたら予想外の方向に彼の人生が進む、そういう人生を彼自身が選び取る。おそらく彼にしろ子供達にしろ、抑圧された時代の中で選択できるものがごく少ない状況だ。そんな中での選択がこれである、という所に何だかぐっときた。希望が残るラストもいい。