1970年代、劇作家のベネット(アレックス・ジェニングス)は北ロンドン、カムデンのとある通りに引っ越してくる。黄色い古ぼけたバンで生活しているミス・シェパード(マギー・スミス)もその通りにやってきて、やがてベネットの家の前に居ついてしまう。ミス・シェパードはプライドが高く時に理不尽、なぜかフランス語に堪能で音楽にも造詣が深く、しかし同時に音楽を嫌がってもいた。彼女とベネットの15年間にわたる交流を描く。原作はアラン・ベネットの実体験に基づく舞台劇で、本作ではベネットが脚本を担当。監督はニコラス・ハイトナー。
 「お手本に」って題名はちょっと趣旨と違う気がするが、彼女のわが道を行くところを見習ってみたいと言うことかな。ただ、ミス・シェパード本人も好んで「わが道」を行っているのかというとそうではなく、もうちょっと屈託があるように思った。自分で選んだ道ではあるし、自分のやり方でやり切るわけだが、そこに葛藤がないわけではないし、人に言えない辛さも抱えている。
 ミス・シェパードはある種の分裂した状態にいる人なのだと思う。若い頃に音楽と信仰との間で引き裂かれ、未だに上手いこと着地できていないように見える。彼女の長いお祈りは、過去に起こしたある事件のせいでもあるのだが、音楽を愛することへの後ろめたさからも生じているのだろう。若い彼女に司祭が言った言葉はちょっと許せない。人の魂を試すようなことを言うのはやめてよねと。
 ベネットもまた、分裂した状態にある。彼の場合は、生活者としての自分と、書く主体としての自分との間でだ。映像上も、ご丁寧にベネットは書き手と生活者と2人同時に現れるのだ。生活者としてミス・シェパードとやりあうベネットを、書き手としてのベネットは観察しながらいいぞもっとやれ、と思っているというような状態だ。そしてベネットは、ミス・シェパードを観察し、ネタにすることに罪悪感を感じている。彼は元々、自分の母親をネタにしたコメディを執筆しており、母親ではネタ切れだからミス・シェパードに目を付けたと言う面も否めないのだ。自分の生業、というか愛するものに対する罪悪感は、ミス・シェパードが抱え続けているものと似通っているかもしれない。
 ベネットは何かとミス・シェパードを気に掛けるが、周囲からは「親切ね」と評される。客観的に見ればベネットは十分親切な人なのだが、本人は惰性(そして前述のように多少の打算)だからだと言う。照れもあるだろうが、実際のところ、惰性に近いような関係の方が、毎度心を込めて行う親切よりも長続きするのではないだろうか。ベネットもミス・シェパードもまさか15年の付き合いになるとは思っていなかっただろう。ベネットはミス・シェパードの介護者ではないと自認しているし、実際、ヘルパー達のように躊躇ない触れ方、助け方は彼には出来ない。ベネットがミス・シェパードの人生について知ったことは、彼女の口からではなく後々になってから知ったことだと言う。あくまで隣人なのだ。
 作中時間の経過をあまり感じさせない作品なのだが、ベネットの家に出入りする人の出入りの仕方が明らかに変わったラスト、ああそういう時代になったし、ベネット本人もそういう気持ちになったんだなと、ちょっと感慨深くなった。