1950年代。甘いマスクとソフトな歌声で、ジャズ界のジェームズ・ディーンともてはやされたトランペット奏者チェット・ベイカー(イーサン・ホーク)だが、麻薬に溺れていく。1966年、麻薬がらみのトラブルで顎と歯に重傷を負い再起不能かと思われたが、ジェーン(カルメン・イジョゴ)の献身的な愛情に支えられ、ドラッグを絶ちミュージシャンとして再起を図る。監督・脚本はロバート・バドロー。
 ジャズミュージシャン、チェット・ベイカーの伝記映画というよりも、彼に対するオマージュのような雰囲気だと思う。伝記としてはエピソードが断片的すぎることに加え、ベイカーが主演を務めるベイカーの自伝映画が作中作として挿入されるので、虚実混じった感が強くなる。映画で妻エレインを演じたジェーンが実際に彼のパートナーとなり、自伝映画はベイカーが重傷を負ったことにより製作中止になってベイカーの記憶の中にしかないので、なおさらレイヤーが入り混じる。これはベイカーとエレインの思い出なの?それともジェーンとの思い出なの?と混乱するところも。ベイカーにとっては、2人とも同じような存在なのかもしれないなとふと思った。
 重傷からリハビリを重ね、再起不能と思われていたベイカーが奇跡の復帰を遂げる。遂げることは遂げるのだが・・・。実在の人物だからネタバレも何もないのだが、何とも苦い。確かに大変な努力があったのだろうが、心の弱さはどうしようもないのか。ジェーンとの二人三脚のようなリハビリの過程も、愛が深いとも言えるが依存しているとも言える。彼女には彼女の目標があるということを全く考慮していないということが終盤で露呈してしまい、これまた苦い。才能は確かにあるのだが、弱く脆すぎる。同時代の天才であるマイルス・デイヴィスの存在が大きすぎ、プレッシャーに耐えられなかったというのも、プロとしてどうなのよ!と言いたくなってしまう。マイルスはマイルス、自分は自分というふうには思えなかったんだろうなぁ。情けないのだが、自分が生きる場所がジャズの世界にしかない以上、そこで否定されたら生きていけないというところが痛切。
 イーサン・ホークのどこか弱弱しいルックスが、役柄と合っており好演。トランペットはさすがに吹替え(でも演奏の仕方は特訓したそうで、素人目には違和感はない)だが、歌は本人が歌っている。私はホークにセクシーさを感じたことはなかったのだが、本作での歌声にはぐっときた。この曲、本当にいい曲だったんだなとしみじみさせられた。