小学生の「ぼく」こと春山雪男(大西利空)は、父・定男(宮藤官九郎)、母・節子(寺島しのぶ)、妹、そして「おじさん」(松田龍平)と暮らしている。おじさんは父の弟で、雪男の家に居候している。大学で哲学の非常勤講師をしているがほぼ無職同然のおじさんは、雪男をダシにして節子から小遣いをもらったりしている。ある日、ハワイの日系4世の女性・エリー(真木よう子)と出会ったおじさんは彼女に一目惚れ。ハワイでコーヒー農園を継ぐという彼女を追う為、何とか渡航費をひねり出そうとする。原作は北杜生の同名小説。監督は山下敦弘。
 『オーバー・フェンス』の次がこれというところに、山下監督の作風の広がりを感じる。深刻さと緊張感の反動がきたかのような、のんびり呑気な雰囲気の作品に仕上がっており、子供連れでも気楽に楽しめる。もちろん、北杜生の原作がそもそもそういう作品なわけだが。
 原作の文章の味わいを活かす方向なのか、山下監督作品の中では珍しく、「芝居」感が強い。本作は現代を舞台にしているので、原作が書かれた時代背景とのギャップもある。しかし、その芝居がかった部分、昔の小説っぽい台詞回しが、結構楽しかった。現代の日常ではあまり使わない言葉遣いをそのまま使うことで、地上から10㎝くらい浮いているような雰囲気が出ていると思う。
 そもそも、現代の日本で、おじさんのような存在が居候している家庭というのは、あまりないだろう。春山家は経済的に困窮しているわけではなさそうだけど、決して豊かというわけでもなさそう。春男が同級生に話す内容によると、定男は一般的な会社員で役職は課長なので、さほど高給取りではないだろう。専業主婦の妻と小学生の子供2人に加えてほぼ稼ぎのない成人1人を養うのは、現実的には結構厳しい。原作が書かれた時代と現代とのギャップを一番強く感じたのがここだった(ほぼ無職の人にお見合い話をもってくることが出来るというのも、現代ではありえないだろう)。しかし、本作で採用されている芝居の在り方、台詞の作り方だと、そのあたりの現実との兼ね合いが、さほど気にならない。
 何より、おじさんを演じる松田にひょうひょうとしたおかしみがあり、彼が演じることで本作が一種のファンタジーとして成立している。むしろ、今の時代だったらおじさんみたいな人の方が、アウトローな主人公として活躍できるんじゃないかなという気もしてくるのだ。
 短いエピソードを積み重ねていく前半の方が、おじさん本人のおかしみがじわじわと出ていて面白かった。後半のハワイパートは話の展開が少々雑だと思う。ただ、後半には後半の良さがある。雪男役の大西の芝居がぐっと良くなり、おじさんと雪男の関係も密になった感じがするのだ。雪男あっての作品だったんだなと改めて納得した。本作は雪男の語り、雪男の視点で話が進むわけだが、雪男がおじさんのことを好きだから、おじさんのキャラクターが愛すべきものとして成立するのだろう。