小さな金属加工工場を営む鈴岡利雄(古舘寛治)と章江(筒井真理子)夫婦。2人の前に、利雄の知り合いで刑務所から出てきて間もないらしい、八坂草太郎(浅野忠信)が現れる。八坂は夫婦と同居するようになり、娘も八坂に懐く。しかしある事件が起き八坂は姿を消す。8年後、夫婦は八坂の消息を掴む。監督・脚本は深田晃司。第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査員賞受賞。
 私は深田監督の作品は、おそらく変化球であろう『さようなら』しか見たことがないのだが、本作を見ていてあっこの絵『さようなら』で見たやつだ!とはっとする場面が所々あった。構図をかなりかっちりと決めて撮る監督なのだろうか。冒頭のメトロノームの使い方や八坂の白いつなぎと赤いインナー等、ちょっと暗喩的な演出が多すぎるんじゃないかという気はしたが、ひとつの寓話のような雰囲気を強めるという意図なら効果的だったと思う。また、ともすると抽象的になりすぎそうなところを、役者の肉体の存在感が引き止めている。出演者全員とてもよかった。特に筒井の普通の中年女性っぽさとそこから見え隠れする凄みは素晴らしい。
 ある家族の崩壊を描いたようでもあるが、そもそも目の前のこの人を自分は本当に知っていると言えるのか?何を持って「知っている」とするのか?という問題とずっと向き合うような作品だった。人物を背後(後頭部のアップが多い)から映したショットが多いのもまた、表情が分からない=何を考えているのかわからないことを連想させる。
 この人は何者なのか、という疑問は主に八坂に対してのもののように見える。利雄は八坂と前々から知り合いで彼の過去も知っているが、それでも八坂が起こす「事件」については予測もつかなかった。章江はもちろん八坂とは初対面だが、彼に徐々に惹かれていく。彼女もまた、八坂があのような「事件」を起こすとは思いもよらなかっただろう。とは言え2人が見ていた八坂の姿が偽りというわけではなく、八坂の一面を見ていたにすぎない。
 とは言え、八坂は最初から得体のしれない人として登場する。深刻に「この人を本当に知っているのか」という問題が浮上するのは、むしろ利雄と章江の関係においてではないか。利雄の「ほっとした」発言、そして八坂との過去の告白後、章江にとっての利雄は見知らぬ人になってしまったのだろう。ただ、家族という仕組みには、こういう面は多かれ少なかれあると思う。そこを問い続けても問わな過ぎても、家族という仕組みは崩壊してしまうのかもしれないが。