小柄な体格と長めの髪の毛から女の子と間違われることもある14歳のダニエル(アンジュ・ダルジャン)は、目立ちたがりで機械いじりが得意な転校生・テオ(テオフィル・バケ)と仲良くなる。学校や家族にうんざりした2人は、車輪の付いた小屋を自作し、夏休みに2人で旅に出る。監督・脚本はミシェル・ゴンドリー。
 ダニエル役のダルジャンが大変可愛らしく、これは確かに女の子と間違われちゃうなーという説得力がある。とは言えダニエルにとって見た目の「可愛さ」はあまり喜ばしいことではなく、片思いしておりそこそこ仲のいい女の子にも異性扱いしてもらえない。彼はクラスの中ではちょっと浮いていて、男子グループよりも女子グループとつるんでいる(好きな女の子の傍にいたいというのもあるのだが)。周囲の男の子たち、特にクラスの親分的な男の子たちが誇示する「男らしさ」に参加することはできない、かといって女の子とと話が合うというわけでもなさそうなダニエルにとって、テオの存在ははっきりと「親友」と言えるものだったのだろう。
 周囲から浮いている、というよりも最初から馴染む気がないテオにとっても、ダニエルは大切な存在になっていく。個展での振る舞いには、ちょっと風変わりではあるが彼の思いやりが充ちていて微笑ましかった。テオの方がダニエルよりもわが道を行き、やや大人びているので相手への配慮も出来る。とは言え、全く平気というわけでもないということが垣間見える終盤にも、はっとするものがあった。
 2人とも、方向性は違うが親が大分重い、14歳男子には持て余すような存在であるという所も、シンパシーを呼んだんだろうなと思う。子供にとって親の存在はどうしようもないものだとしみじみ思う。横暴で労働力としてしか子供を見ていないテオの親も困り者だが、「ものわかりのいい母親」として振舞おうとするダニエルの母親も、息子にとってはかなり厄介だろう。そこ、踏み込まないで!という部分に(当人はオープンなつもりで)どんどん入ってくるので見ていて焦る。
 ダニエルは、自分は個性がない、周囲に流されてばかりだと嘆く。だから自分流のやり方をしているように見えるテオに惹かれたのだろう。しかし、ダニエルが自分で言うように無個性だとは見えなかった。画が得意だというのも個性だし、色々考えすぎ(なので結果的に流されているように見える)なのも個性だろう。テオが同級生に馬鹿にされたことにカチンとくるのは、彼は堂々と好きなことをやっているのに何でいちゃもんつけるんだという考え方だろうし、そこは流されていない。むしろ何で流されやすいと思っているのか不思議なんだが、テオのように明瞭な個性が欲しいということなのかな。
 車輪付きの小屋で旅に出るというフレーズだけでわくわくしてくるし、少年2人の車作りと旅路はどこかファンタジックで夢のようでもある。夏休みの香りに満ちているのだ。しかし、夢は覚めるものだし夏休みには終わりがある。急に現実が襲ってくる後味はほろ苦い。こういう夏休みは一度だけで、もうこの先ないだろうなという寂寥感が襲ってくる。おそらく、ダニエルとテオはこの先会うことはないだろう。でも、お互いに一生に一度くらいの夏休みを共にした友達のことは、ずっと忘れないのではないだろうか。