脚本家ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は『恋愛手帖』で第13回アカデミー賞脚色賞にノミネートされ、売れっ子脚本家として活躍していた。しかし冷戦下に起きた赤狩りの標的の1人として起訴され、下院非米活動委員会への協力を拒否した為に投獄されてしまう。釈放されたが委員会から監視されているトランボは、偽名でB級映画の脚本を大量に生み出していく。そして友人の名前で執筆した『ローマの休日』がアカデミー賞にノミネートされた。監督はジェイ・ローチ。
 赤狩りが猛威を振るったのは1940年代後半から50年代だが、この時代のハリウッドを舞台にした小説や映画等を見ると、えっこんなことで共産主義者扱いなの?!とびっくりするような描写がしばしば出てくる。実際のところどの程度のものだったのかはわからないが、本作のエンドロール前のテロップを見る限りでは、相当数の人が(少なくとも当時のソ連が言うところの)共産主義とはさほど関係がなかったのではと思われる。何か気に食わない所があるからつきだしてやろう、あるいはちょっと風変わりな人は皆共産主義者扱いみたいな、ものすごくきつい同調圧力がはたらいていた、社会の空気が不寛容な方向に激しく傾いていたように見える。
  本作中で描かれるトランボの言動も、さして共産主義的ではないだろう。冒頭、スタジオの従業員の雇用条件について上司と言い合うシーンがあるが、その程度だ。娘に対する「共産主義者」の説明も、子供相手とはいえ大変牧歌的だ。むしろトランボはがっつり稼ぐ功利主義者でそこそこいい家に住んでいる(そのことを共産主義者の脚本家仲間に揶揄される)し、それを恥じたりもしない。もらえるものはもらっておく主義っぽいのだ。
 彼が「アカ」と呼ばれ仕事を奪われても屈しなかったのは、下院非米活動委員会の弾圧の理不尽さや、社会の不寛容さへの反感あってのことだろう。ただ、彼は特別正義漢というわけでもないのではないか。彼が反抗し続けた最大の理由は、「委員会に同調した脚本家たちよりも自分の方が面白い脚本を書けるのに、なぜ書かせないのか」ではないかと思う。偽名を使い、自宅にこもって書き続ける彼の戦いは家族や友人も巻き込んでいき、疲弊させていく。それでも彼が書くことをやめないのは、自分には才能があり、かつそれしかないからであり、書かずにはいられないからだろう。委員会への怒りや正義感よりもまず先に、書きたいという一心だったのではなないかと思う。才能(と多少の経済力)があるが故の傲慢さや、家族にも友人にもそれぞれの事情があるということに思い当たらない(というよりも忘れちゃうんだろうな・・・)あたりに、彼の脚本家としての業が見えた気がした。