さほど売れてなさそうな女優とその夫、彼女と「オーディション」をする映画監督、ホットドッグ屋の主人と常連客の少女と犬、バイク便の男や登山家のカップル等、様々な人々の「11分」を描く。監督・脚本はイエジー・スコリモフスキ。
 相変わらず好き勝手になってるなー監督。安心しました!冒頭の、おそらく女優と夫がスマホで撮影している設定なのだろうが、移動しまくり不安定なカメラが不安感をあおる。その後も、どのショットも妙に不吉で、あっこの人次の瞬間死ぬかも・・・というような嫌な予感が途切れない。平穏な光景があっても、次のショットで何かが起こるのではないかという不安さが途切れないのだ。一貫して、見る側の心を落ち着かせない。ショットのひとつひとつ、編集の仕方のせいなのだろうが、ここに何か(いるべきではないものが)立ち現れるのではないか、と思わせるのだ。実際、壁を奇妙なものが這っていたりするし・・・あれは何だったんだろう。
 また、音の効果も大きい。スコリモフスキ監督の作品では、外界からの音(フレームの中に音源がなく、外側から聞こえてくる類の)が持つ役割はかなり大きいのではないか。音が聞こえすぎる感じなのだ。特に飛行機が飛ぶ音は世界を引き裂くようで恐ろしかった。以前、『アンナと過ごした四日間』の爆音上映を見たことがあるが、確かにこれは爆音で見る意義があると思ったのを思い出した。
 様々な人たちの、それぞれの人生の一瞬が交錯するが、深く交わるわけではない。たまたま居合わせた、という程度で、そこに深い意味は設定されていないと思う。むしろ、「たまたま」こうなってしまうことの滑稽さ、陳腐な言い方だが「一寸先は闇」な生の不確かさを感じる。また、登場する人たち一人一人はさほど個性的というわけでもなく、個を際立たせる見せ方もしていない。もちろん、彼らはそれぞれ異なる存在で、それぞれ異なる人生がある。ただ、それが集積され俯瞰されていくと、TVの砂嵐のようにのっぺりとした、グレーな塊になっていくのかもしれない。色々な色を混ぜると黒になるように。