ヴァイオリニストのラエルチ(ラザロ・ハーモス)はスランプ中で、サンパウロ交響楽団のオーディションでは手が震え、全く演奏できなかった。家賃の支払いに困ったラザロはスラムの学校の生徒たちが結成しているオーケストラの教師をやることになるが、ろくに音を出せない生徒ばかりで途方にくれる。しかし、徐々に生徒たちは音楽の面白さに目覚め、ラエルチもまた立ち直っていく。監督はセルジオ・マチャド。
 例えばTVドラマだったらここぞとばかりに盛り上げるだろうなというポイントを、本作はあっさりとスルーしていく。ラエルチがなぜスランプなのかは語られないし、生徒達が音楽に目覚めていく過程や、ラエルチと生徒の信頼感が築かれる過程はほぼ省略される。音楽が奏でられるようになるからそれでいいだろう、と言わんばかりだ。音楽に語らせるというよりも、ドラマティックさの為のドラマに対する抵抗、照れがあるように思った。この照れが本作を上品(しかし人によってはあっさりすぎると思うだろう)なものにしていると思う。
 ろくに楽器を鳴らせなかった生徒たちが音楽を見事に奏でるようになっていくのだが、本作は音楽にはこんなに力がある!素晴らしい!と声高に訴えることはない。むしろ、音楽に出来ることはごく限られていると言わんばかりだ。音楽によって生徒たちの家庭環境が良くなるわけではないし、スラムが抱える貧困問題、犯罪問題が解決されるわけでもない。序盤、生徒の一人が音楽家ってどのくらい稼げるの?と興味を示すが、ラエルチが稼げるのはほんの一握りの音楽家だと答えると、あっさり興味を失う。生徒たちにとって、音楽は生活の手段にはならないし、音楽よりもまず生活していかなくてはならない。
 しかし、諸々の問題と直面した個人の心が折れそうな時、絶望的な気持ちになった時、音楽が慰めになったり、支えてくれる、それによって踏みとどまれるということはあるのではないか。音楽を聴くこと、奏でることは、一時ではあれ自分を取り囲む諸々からの避難所にはなるのではないか。音楽が役に立つとしたら、そういう所だろうと本作は示す。生徒のうちの何人かが直截に言及するのだ。練習時間が居場所になる、自分の中の野獣が少し静まるというように。
 それにしても、どこの国のどんな階層であれ、子供であることのしんどさは、どういう親の元に生まれたかで大きく左右されるなとしみじもと思った。本作に登場する生徒たちの殆どは家庭に問題を抱えているようだが(そもそも家庭らしき家庭がないらしい子もいる)、家に居づらいというのは、他に行くところがない子供にとっては致命的かもしれない。自分ではどうしようもない不公平さだよなぁと。
 ラエルチは演奏がろくにできないくらい当初追い込まれているのだが、音楽を教える、つまり他人の音楽にかまけているうちに、自分の音楽を再発見する。これは音楽に限ったことではないかもしれない。