自動車免許を取ろうと思い立った大学生の佐藤清高(野村周平)は、ヤクザ見習いの轟木信夫(賀来賢人)が運転する車にひかれる。清高が死んだと思った組長らは事故を揉み消す為に清高をトランクに押し込め、非公認の自動車教習所に連れて行く。轟木はそこで自動車教習を受けることになっていたのだ。そして、清高と轟木は高校の同級生だった。事故の口止め料として、清高も轟木と一緒に教習を受けさせてもらうことになる。原作は真造圭伍の同名漫画。監督は豊島圭介。
 清高と轟木は高校の同級生ではあるが、言葉を交わしたのは1度だけだ。お互いのことは名前くらいしか知らない。能天気な清高とクールな轟木では、そもそも接点がないのだ。本来友達になれそうもない2人が、なりゆきで時間を共にし何となく友達のようになっていく。この「友達」感には、先日見た『セトウツミ』を思い出した。『セトウツミ』は現役高校生、本作は元高校生の話だが、いわゆる別ジャンルの2人が、日常からほんのちょっと離れた、隙間的な時間を共にすることで友達(らしきもの)になっていく。
 本作での隙間的な時間は、自動車教習所に通っている期間だ。教習所なので当然、試験に合格して免許を取得すれば終了する。終わりが最初から決まっている時間なのだ。この終わりが既に決まっているということは、特に轟木にとってきついことでもある。轟木は組長の運転手として正式に働く為に免許を取れと指示されているので、免許を取る=正式にヤクザになり後戻りできなくなるということだ。轟木は身よりがなく、生活の為に組の世話になっていたので、学生生活は高校中退で中断している。彼にとっては教習所での日々が、青春のやり直しのようでもあったのだろう。免許取得は、彼にとっては青春、モラトリアムの終了でもある。
 一方、能天気に見える清高だが、彼は彼なりの息苦しさを抱えている。父親が失職中で時に母親に暴力も振るい、家に居辛いのだ。彼は概ね空気を読まない(特に清高に思いを寄せる松田さんに対する態度はひどい)が、家庭内では両親の空気を窺いぴりぴりしていて、ちょっといたたまれない。清高が免許を取りたがっているのは、とにかく家から出て遠くへ行きたいからだ。
 清高にとっても轟木にとっても、教習所での時間は、自分が否応なしに所属している場から逃れることが出来る、避難所のようなものだったのだろう。そこを出たら、2人はそれぞれの生活に立ち向かわなくてはならない。でも、避難所での思い出があるから乗り越えられることもある。この先2人が会うことがなくても、あの時自分には友達がいてとても楽しかったという記憶は、ずっと彼らを支えるのではないだろうか。ラストシーンを見てそんなことを思った。