1985年、カンザスで母親と2人の娘が惨殺される事件が起きた。生き残った8歳の娘ビリーの証言により、15歳の長男が逮捕され、終身刑となった。31歳になったビリー(シャリーズ・セロン)の元に、有名な殺人事件について語りあう「殺人クラブ」から招待状が届く。生活費に困っていたビリーは、謝礼金目当てでクラブに出席し、事件の真相を振り返り始める。監督・脚本はジル・パケ=ブレネール。原作はギリアン・フリンの小説『冥闇』。
 ギリアン・フリン原作映画と言えば、デヴィッド・フィンチャー監督による『ゴーン・ガール』が強烈だったが、本作は(原作は読んでいないのだが)意外とあっさりとした見せ方。予告編の方がおどろおどろしいくらいだ。またミステリとしては、『ゴーン・ガール』よりもフェア、というかストレートで、序盤で真相の半分くらいへの道筋が提示されているし、以降も意外と手掛かりを提示してくる。
 31歳のビリーは職もなくお金もなく、切羽詰まった状況なのだが、ほぼ自業自得で、映画を見る側が共感しにくいキャラクターだというところがちょっと面白い。殺人事件の生き残りになった8歳の彼女は有名人になり、多額の義援金と励ましのメッセージが送られてきた。彼女は長年その義援金で生活しており、働いたことがない。その義援金も尽き、生活は荒れる一方。過去の事件を調べ直すことになったのも、嫌々ながらお金の為(しかも当初の提示額よりも上げさせようと苦心する)だ。殺人事件、しかも家族間の殺人の遺族の心情など想像するしかないが、主人公であるビリーの言動に共感しにくい設計にしてあることで、事件の陰惨さのわりには、見ていて意外とストレスを感じない。ほどよい距離感があるのだ。それが迫力を削いでいる(多分、原作小説はもっとひしひしと怖いのではないかと思うので)とも言えるのだが、ストレートなサスペンス映画としてはちょうどいいかなと思う。逆に言うと、この内容で本気で攻められるとかなりしんどい・・・。
 8歳のビリーの証言は、本作の描写を見る限りでは信憑性はいまひとつで、この証言ひとつで兄を有罪にしてしまったというのはかなりとんでもないように思える。殺人クラブのメンバーも当然同じことを考え、ビリーに記憶の掘り起しを促すのだ。当初は、自分の証言は間違っていないと断言するビリーだが、本当にそれが正しかったのか?自分は実際は何を見たのか?そして他の関係者たちの話の信憑性はどの程度だったのか?と何重もの疑わしさが立ち現れてくる。過去と現在とが交互に描かれるのだが、疑わしさをひとつひとつ確認していくような構成になっているのも、「意外とあっさり」とした口当たりの一因かもしれない。