吹替版で鑑賞。創造主ダナンが作った戦士「ガルム」が複数部族に分かれて暮らす惑星アンヌン。ダナンが去った後、長年にわたり3つの部族が抗争を続けていた。戦士カラ(メラニー・サンピエール)は部族の違うスケリグ(ケビン・デュランド)、ウィド(ランス・ヘンリクセン)と出会い、クローンとして生まれ延々と戦い続ける存在の、ガルムの真実を求め旅に出る。監督・原作は押井守。押井作品の常連である川井憲次が本作でも音楽を手掛けている。それほど主張が激しいわけではないのにあっ川井旋律だ!とすぐわかるあたりがすごい(手癖が毎回同じということなのか)。
 壮大な年代記の一部を抜粋し、更にダイジェスト化したような印象を受けた。押井監督が長年温めつつ頓挫してきた企画だそうだが、多分、監督のそもそもの構想の中ではもっと長大な物語なんだろうな。一応章立てしてあるのだが、これにより更にダイジェストっぽくなった気がする。分けるほどのボリュームはないのだ。尺が短めなのに固有名詞や背景設定をどんどん突っ込んでくるのも、「要約」っぽく感じられた一因かもしれない。
 実写映像を加工したビジュアルにしろ、設定にしろ、押井印とでもいいたくなるフェティッシュに満ちている。もちろんバセットハウンドも登場し、重要な役割(とうとうバセットが精霊や妖精級に・・・)を担う。本作の構想はだいぶ以前からあったようなので、押井監督のエッセンスがかなり原石的な状態のまま残っているのだろう。本作は、むしろ押井監督が若い頃に作った作品という雰囲気がある。企画が暖まりすぎて、時系列が逆転しているみたいだ。
 企画を暖め過ぎた弊害は、やはり既視感が強いという点に尽きるだろう。こういうのもう見たことあるな、という情景が延々と続く。これまでのフィルモグラフィでやりつくした感のある押井的な要素についてもそうだが、ファンタジーとしてもかなりオーソドックスでレトロ。今わざわざこれをやる意義が、今一つ感じられないのだ。実写によるファンタジー作品としても、今となってはもっとすごいのあるしなぁ・・・という思いが拭えない。監督がどうしてもやりたかったからやった、監督とそのファン向けの、かなり内向きな作品という印象だ。私は一応、新作が出たら見るという程度には押井守監督作品は好きなのだが、本作を見るとしたら、もっと以前に見て見たかった。
 なお、押井監督は、(本人の志向はさておき)やっぱり実写よりはアニメーションに向いているんじゃないかなと思う。アニメーションだと間が持つのに実写だと持たない。この差異は何なんだろう。単に予算とか役者(正直、本作の出演者の演技は頂けない。字幕版だとまた印象が違うのかもしれないけど)のスキルの問題ではなく、絵コンテの段階での向き不向きがあるんだろうか。本作は見るからに予算足りなかったんだな(それでも大分超過したみたいだけど)という感じだけど、予算がつけばもっとすごくなるかというと、そうでもなさそうなんだよな・・・。