アメリカ、ボストンの地元紙「The Bostoin Globe」には、独自の極秘取材による特集連載「スポットライト」があった。2001年、新任の編集局長マーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)は、ある神父による児童の性的虐待事件を「スポットライト」で掘り下げる方針を打ち出す。デスクのウォルター“ロビー”ロビンソン(マイケル・キートン)を筆頭に4人の記者は被害者や弁護士らへの取材を続け、同様の罪を犯した神父が他にも大勢いること、その背後に教会の隠蔽体質と巨大なシステムがあることを突き止める。しかしカトリック教会が深く根付いた土地柄故に、様々な妨害が生じる。監督はトム・マッカーシー。
 被害者達は、一様に口を閉ざす。ただでさえ口にすることに抵抗があるだろうが、加害者は地域からの信頼が厚い聖職者で、子供である被害者の証言は往々にして信じてもらえなかった。家族に信じてもらえても、地域ぐるみで家族にプレッシャーが掛けられ事件が揉み消され、犯人は野放し、被害者へのケアもない。バロンらに情報を持ちこむ被害者互助団体の代表は、成人した被害者たちを「サバイバー」と呼ぶ。被害の傷の深さに耐えきれず自殺、自滅してしまう人が多数いるからだと言う。互助会代表にしろ一人で教会と戦い続けてきた弁護士にしろ、記者たちに心を開かない。彼らは自分たちの話を真剣に聞く人がいないことに絶望しているのだ。
 記者たち、特にマイク・レゼンデス(マーク・ラファロ)とサーシャ・ファイファー(レイチェル・マクアダムス)の姿勢を見ていて、人の話を聞くってどういうことなんだろうとふと考えた。レゼンデスは精力的で相手の懐にどんどん突っ込んでいく。衝突も辞さず、スクープを取ろうという野心も隠さない。しかし、徐々に相手に寄り添うようになっていく。その時、取材相手は口を開くのだ。また、ファイファーは被害者取材を地道に続けるが、また自分達を見捨てるのではと疑う相手に、決して見捨てないと言い切る。彼らを見捨てないということは、教会と全面的に戦うことで、カソリック信者が半数を占める新聞購読者や地域社会との軋轢は避けられない。また、被害の話を真剣に聞き続けることで、話す側と同じく、聞く側も無傷ではいられない。それくらい本気でないと、相手は心を開いて話してはくれないのだ。ファイファーの、全身を傾けるような真摯な姿が胸を打つ。ラスト、電話がかかりまくってくるのも、そういうことなのだと思う。真剣に聞いてくれる人がいるとわかれば、人は話し出すのだ。
 記者たちは新聞社の命運、自分たちの身の安全まで賭けて記事を書く。それは、彼らにとってはそうすることが職業倫理だからだろう。作中でも言及されるが、「では、記事にしない場合の責任は?」と考えるのだ。対して、神父たちにもカトリック教会にも職業倫理はあったはずだ。彼らの職業倫理は、加害者神父を匿うことだったのだろうか。カトリック教会組織の闇が深すぎて、エンドロール前に提示される字幕の内容はちょっと引くレベル。ただ、新聞記者たちも無罪というわけではない。複数の人が資料を送ったのにと口にする時の、バロンの表情は苦い。気づかなかった、本気で取り合わなかったという点では、当時の記者も他の人たちと同じだった。真剣に見る、聞くことの何と難しいことか。