1823年のアメリカ北西部。毛皮を狩る為の旅の途中、旅団の案内人ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)はハイイログマに襲われて重傷を負う。回復の見込みはないと判断した仲間たちは彼を置き去りにし、彼を助けようとした息子は仲間の1人フィッツジェラルド(トム・ハーディ)に殺されてしまう。奇跡的に生き延びたグラスは復讐心に燃え、フィッツジェラルドを追う。監督・脚本・製作はアレハンドロ・G・イニャリトゥ。
評判通り、エマニュエル・ルベツキによる撮影が美しく凄みがある。光線の入り方や、妙に低いカメラ位置、俳優の動きに合わせてカメラも結構移動するに動きはなめらかでゆっくり漂っている感じがするところは、テレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』っぽい(ルベツキが撮影している)なと思った。いわゆる手持ちカメラ風では全くないのだが、これは誰の視線なのか?ということを強く意識させる、変わった個性の撮り方だと思う。そこに何か(もしかしたら神)がいる、という空気感があるのだ。もし神がいるとしたら、側にいるが何もしてくれない神なのかもしれないが・・・。グラスは死にそうな時も神に祈ったりはしない(と、思う)のだが、最後、敵を「神の手にゆだねる」と言う(とは言えそれまでに相当半殺しにしているが)。その、神との距離感みたいなものが面白かった。
グラスは息子の死を知った時点で、既にこの世の人であることをやめたようにも見える。復讐の為だけに生き続けるが、存在自体は彼岸のもののようで、彼岸に行きつくためにただただ歩み続けているようだった。人の気配のない荒涼とした、しかし美しい風景がよけいにそう思わせる。途中で同行する先住民男性も、どこかファンタジーの世界の登場人物のように、唐突に現れる。ラスト、自分が今どこにいるのか、自分は何者なのか(生者なのか死者なのか)茫然としているような、映画を見ている側に問いかけるようなグラスを映したショットが強烈だった。
アメリカ人たちは先住民を「野蛮人」と呼ぶのだが、自分たちがやっていることも十分野蛮だ。登場人物、どいつもこいつも皆野蛮。アメリカの小説や映画には、「ジャンル:野蛮」と呼びたくなるようなジャンルがあると思う。国の成り立ちがそもそもそういうことなのか。
評判通り、エマニュエル・ルベツキによる撮影が美しく凄みがある。光線の入り方や、妙に低いカメラ位置、俳優の動きに合わせてカメラも結構移動するに動きはなめらかでゆっくり漂っている感じがするところは、テレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』っぽい(ルベツキが撮影している)なと思った。いわゆる手持ちカメラ風では全くないのだが、これは誰の視線なのか?ということを強く意識させる、変わった個性の撮り方だと思う。そこに何か(もしかしたら神)がいる、という空気感があるのだ。もし神がいるとしたら、側にいるが何もしてくれない神なのかもしれないが・・・。グラスは死にそうな時も神に祈ったりはしない(と、思う)のだが、最後、敵を「神の手にゆだねる」と言う(とは言えそれまでに相当半殺しにしているが)。その、神との距離感みたいなものが面白かった。
グラスは息子の死を知った時点で、既にこの世の人であることをやめたようにも見える。復讐の為だけに生き続けるが、存在自体は彼岸のもののようで、彼岸に行きつくためにただただ歩み続けているようだった。人の気配のない荒涼とした、しかし美しい風景がよけいにそう思わせる。途中で同行する先住民男性も、どこかファンタジーの世界の登場人物のように、唐突に現れる。ラスト、自分が今どこにいるのか、自分は何者なのか(生者なのか死者なのか)茫然としているような、映画を見ている側に問いかけるようなグラスを映したショットが強烈だった。
アメリカ人たちは先住民を「野蛮人」と呼ぶのだが、自分たちがやっていることも十分野蛮だ。登場人物、どいつもこいつも皆野蛮。アメリカの小説や映画には、「ジャンル:野蛮」と呼びたくなるようなジャンルがあると思う。国の成り立ちがそもそもそういうことなのか。