占領状態が続くパレスチナに住む、パン職人のオマール(アダム・バクリ)。監視塔の目を盗み、時に銃撃を避けつつ、分離壁の向こう側に住む恋人ナディア(リーム・リューバニ)とその兄タレク(エヤド・ホーラーニ)、友人アムジャド(サメール・ビシャラット)に会いに通っていた。オマールはリーダー格のタレクと共に占領に対する反対運動に立ち上がったが、イスラエル兵殺害容疑をかけられ秘密警察に捕えられてしまう。拷問を受け、自由になりたければ仲間の情報を渡しスパイになれと迫られるが。監督はハニ・アブ・アサド。
 パレスチナという政治的な背景に目が行きがちだが、誰がオマールをはめたのかというミステリとして、そしてスパイものとして大変スリリングで面白い。また、フランス映画『憎しみ』(マシュー・カソヴィッツ)をどことなく思い出した。もちろん背景は全然違うのだが、社会の中で抑圧された青年たちの疑心暗鬼と青春の終りの予感という部分で、なんとなく似通った空気があるような気がした。
 特に、スパイの悲哀や泥沼感を感じさせるのは意外だった。スパイは職業ではなく生き方だなんて言葉をどこかで聞いたことがあるが、こういうことなのか。一度スパイになったら敵からも見方からもスパイとして見続けられ、止めることができない。「足抜け」は出来ないし、させてくれないのだ。止めようと思ったら、ラストのようなことをせざるを得ない。これを、スパイ映画の主人公ではなく、ごく普通の青年であるオマールがやるので、余計にやりきれない。
 オマールはパン屋で働く、素行が特にいいわけでも悪いわけでもない、ちょっとハンサムなくらいの普通の青年だ。そういう人が「スパイ」を強制される世界なのだが、彼らにとっては日常の延長線上のことで、おそらく「普通」の範疇なのだろう。「普通」って、当たり前だけど個人によっても国や環境によっても大きく違うのだ。