堀江敏幸著
フランス留学時代、“私”は古物市で1枚の絵はがきを手に入れた。小屋と四輪馬車の写真の裏には、10行の詩がしたためられていた。やがて、詩を書いたのは写真が撮影された町に住んでいた会計検査士で、1人の女性に向けて書かれたらしいとわかる。“私”は彼が詩を書いたはがきを探しまわるようになり、また彼に関する情報が“私”の元に舞い込むようになる。“私”と詩人との間に時を超えた繋がりが生まれてくるような不思議な作品。詩の解釈の仕方も、詩人の生涯がわかってくると共に徐々に変容していく。最初に見えていた詩の中の風景と、後々に見える風景とは違うのだ。誰かが残した記憶を、後々に別の誰かが目にするが、最初に記したものそのままは伝わらない。段々風化したり、上書きされ変容していったりもする。見えているものは同じはずなのに。詩人が生きた時代が、覚えている人がまだぎりぎりいる程度の昔だという所もポイントだろう。懐かしく思い出せる人もいるが、その記憶は徐々に風化し、失われていく過程にある。痴呆の始まった老人に話を聞くシーンなどは、記憶がぱっと鮮明に蘇る瞬間と、崩れて曖昧になっていく様との対比が痛ましくもあった。