相田和弘著
 “観察映画”と称された優れたドキュメンタリー作品を撮り続けている著者。新作『牡蠣工場』が2月20日に公開される。その製作過程、またなぜドキュメンタリーの道に入ったのかを、本著の出版元であるミシマ社のインタビュー、そして自身のコラムにより綴る。『牡蠣工場』を楽しみにしているので、予習として読んだ。著者の作品は一般的なドキュメンタリー映画とは少々作り方が異なる(事前に脚本を考えない、事前の取材をしない、テロップを出さない、ナレーションを入れない等)のだが、そういう方法で製作するのはどんな感じでどんな段取りになっているのか、自身の説明によりよくわかる。そして、著者が相当に体力のある人だということもわかる。でないと、時間・情報量的に膨大な編集作業に耐えられそうもない!撮影自体も、過去作を見ていても体力的・物理的に大変そう(全部自分でやらないとならないので)だなと思ったが、圧倒的に編集の方が大変そう。しかも結構な長編ばかりなので、3時間かけて全編チェックして再度編集してまた3時間チェック・・・というような作業になる。私は映像制作の知識がないので、ログを書く(映像の中で起きていることを全部書き出す)という時点で、言われてみれば当然なのだが茫然とした。意外だったのは、“観察映画”というスタイルが著者のメンタリティや生まれ持っての特性から生まれたものではなく、自分に対する縛りとして発生したものだということだ。本来は説明したいタイプ、むしろ説明しすぎるタイプの人だというのだ。映像だけで説明するのは考えているよりはるかに難しい(これも、映像を作らない人にとっては指摘されて初めて気づくことだった)。しかし縛りをつけないと説明しすぎのつまらない作品になる。行間がないと、想像したり考えたりという鑑賞者のアクションが起こりにくいのだろう。説明したがりな人が“観察映画”を作っていてフラストレーション感じないのかな?と思ったが、映像を作るのと言葉を駆使するのとはまた違うんだろうなぁ。