1952年、冬のマンハッタン。デパートのおもちゃ売り場で働くテレーズ(ルーニー・マーラ)は、娘のプレゼントを買いに来たエレガントな女性・キャロル(ケイト・ブランシェット)に強く惹きつけられる。キャロルが忘れた手袋を送り届けたことがきっかけで、2人は度々会うようになる。キャロルは夫と離婚訴訟中、テレーズにはボーイフレンドがいたが結婚に踏み切れずにいた。いざこざから逃れるように、2人は自動車で旅行に出る。原作はパトリシア・ハイスミスの同名小説。監督はトッド・ヘインズ。
 ビジュアル、特に質感が素晴らしい。昔の映画のような、エドワード・ホッパーの絵画(終盤、キャロルがダイナーにいるシーンなどはあからさまに意識していると思う)のような柔らかく、手ざわりが良さそうな色合いだ。特に赤の色がアクセントになっている。キャロルにしろテレーズにしろ、赤をまとうことでその意思がより際立つように思った。また、オープニング部分のクレジットのフォントや位置も一昔前の映画のよう。衣装については言うまでもない。明らかに上流階級だがゴージャスすぎないキャロルの出で立ちはエレガント。テレーズの服装はまだ少女めいている。チェックの帽子やジャンパースカート、縁取りの入ったウールのコートなど、どこかノスタルジックだ。服装で2人が所属する階級がありありとわかるという面もある。
 メロドラマを基調にしつつ、2人の女性が自分を偽らない生き方、自分自身の人生を選び取るまでの苦悩・格闘が描かれている。2人の顔の切り替えしの多さが印象に残ったが、視線がまっすぐにやり取りされているということか。まだ若いテレーズは、そもそも自分が何をしたいのか、どう生きたいのか無自覚で、ボーイフレンドや周囲の人たちに「そういうもの」だと流されがちだった。だが、キャロルと親密になるうちに、自分は何を選びたいのか、自分にとって大切なのはどういうことか目覚めていく。
 一方、既に家族があり、一旦は生き方を選んでしまったキャロルは、再度選び直すという困難に直面している。彼女が今までと変わらず、美しい妻・母の「ふり」をしていれば、ことは丸く収まるだろう。しかし、それは彼女を苛むし、何より彼女が思う所の誠実さが損なわれることだ。終盤、弁護士事務所で言葉を絞り出すように語るキャロルの姿には打たれた。これは原作にはないシーンだが、このシーンがあるから、現代の映画になっているのではないかと思う。キャロルにとっての誠実さとはどういうものかが端的に語られていた。大切な相手の前で自分を偽ることよりも、相手を傷つけても自分の本当の姿を見せることの方が、彼女にとっては誠実な態度なのだ。
 キャロルとテレーズ以外の人の出番は少ないが、少ないながらもそれぞれ存在感がある。特にキャロルのかつてのパートナーであるアビー(サラ・ポールソン)がいい。キャロルとは恋人としての関係は終わったが、深い友情がある。原作ではテレーズに対してもう少し辛辣な印象だったが、映画では年少者に対するそれとない配慮と「先輩」感が強まっている。
 そして、アビーを疎ましく思うキャロルの夫・ハージ(カイル・チャンドラー)。ハージはキャロルのことを彼なりに愛しており、彼女に「良かれ」と思って行動する。しかし彼の愛も「良かれ」という思いも、キャロルにとっては的外れで応じられるものではない。悪気がないだけに(ハージがキャロルのことを心配しているのはわかるし、娘を愛しているのも見ていてわかるのだ)厄介。映画では割愛されていたが、原作でのリチャード(テレーズのボーイフレンド)の独善的な振る舞いを思い出した。彼らは「こうであろう、こうであれ」という概念が強すぎて、そこにはまらないものを見ようとしないのだ。