トーキョーノーザンライツフェスティバルにて鑑賞。1982年ストックホルム。パンクを愛する13歳の少女ボボとクラーラは、楽器もろくに扱えないがバンドを結成。ギターが上手なクリスチャンの少女ヘドヴィグを強引にメンバーに加え、活動を開始する。監督はルーカス・ムーディソン。2013年の作品。
 パンクは自由だ!とボボとクラーラは反骨精神を発揮し張り切る。その姿は生き生きとしていてキュート。ただ、彼女らが思う自由と、他人が思う自由は違うかもしれないということには思い当たらないところは、まだまだ子供っぽい。ヘドヴィグとの宗教問答や、髪の毛をめぐるあれこれが印象に残った。
 クラーラとボボはパンクスっぽくしようとヘドヴィグの髪の毛を(一応ヘドヴィグも同意するが)短く切ってしまい、それをヘドヴィグの母親にいじめではないかととがめられる。クラーラは良かれと思ってやっているのでヘドヴィグの母の言い分には納得しないが、友達であることを担保として強引に押し切ったという面も確かにある。ヘドヴィグの母親は、自分と一緒に定期的に教会へ礼拝に行くなら許すという(このあたり、ヘドヴィグの母親の冷静な対応が良かった。彼女はクリスチャンだが、娘の行動を信仰を理由に押さえつけている様子はないし、ボボやクラーラに対しても信仰を理由に糾弾することはない)。無神論者のクラーラはそれはできないと言うが、クラーラがヘドヴィグにしたことはこれと同じだ。友達であれ何であれ、お互いの意見を話し合うことと、自分の価値観を相手に強要することとは違う。ボボはそれに気づくが、クラーラはなかなか認めない。
 クラーラはパンクスとしてふるまうが、容貌へのコンプレックスが強く少々内気なボボとは異なり、社交的でで勉強もそこそこ出来、小さい頃から人気者だった。両親もおおらかで、自分を否定されることがあまりない環境で育ったのだろう。自分に自信があるという良さはあるが、相手の心情に対して鈍感で、自分に非があるとはあまり考えないという難点がある。男の子をめぐってのボボとのいざこざも、どっちもどっちと言えばそれまでだが、自分がいいと思ったことがいい、というスタンスが独善的でもある。自分を尊重することと他人を尊重することのバランスがまだ取れていないあたり、子供なのだ。
 周囲を気にしないクラーラと、若干気にしすぎなボボとは良いコンビといえば良いコンビなのだが・・・。2人に対して、ヘドヴィグは大人びた落ち着きがある。3人のバランスがよかった。