特集上映「永遠のオリヴェイラ」で鑑賞。リスボンの貧民街、通称「階段通り」。盲目の老人(ルイス=ミゲル・シントラ)が、通行人からお恵みの小銭を集める「恵みの箱」を手に入れたことに、周囲の住人はやっかみ混じりで興味津々だった。洗濯女をしている老人の娘(ベアトリス・バタルダ)と娘婿(フィリペ・コシュフェル)は老人を厄介者扱いしつつも「恵の箱」による収入を当てにしている。孫と住む近所の老女(フリニシア・クァルティン)は妬みを隠さず不満たらたらだ。居酒屋の主人(ルイ・デ・カルヴァリョ)が店を開き、豆売り(イザベル・ルス)が路上に店を構え、階段通りの1日が始まる。監督・脚本はマノエル・ド・オリヴェイラ。1994年の作品。
 舞台が階段通りの路面と居酒屋の中に限られており、登場人物はそこに出たり入ったりする。人物の登場・退場が舞台劇のようだなと思った。雑多なようでいて、きっちり管理されている感じがするのだ。実際、元々はプリスタ・モンテイロによる演劇の戯曲だったものを、映画向きと判断したオリヴェイラが脚色したのだそうだ。また、ミュージカルというわけではないが、音楽が使われるシーンも印象に残った。サウンドトラックというのではなく、しばしば音楽(居酒屋でギタリストが演奏したり、豆売りが歌ったり)が挿入されるのだが、これが幕間というか、時に場面転換のような機能も果たしており、そこも舞台劇っぽい。
 冒頭で、これは寓話だという趣旨の字幕が出る。終盤でなぜか「演舞」があるのも、舞台劇っぽさと同時に寓話、おとぎ話っぽさを醸し出している。とは言え、寓話だけれど貧しさ故のぎすぎす感は結構生々しい。貧しいけれど心豊か、あるいは清貧という概念は多分本作にはないんじゃないだろうか。豊かなら豊かなりの、貧しければ貧しいなりの妬み嫉みやご近所トラブルが生まれるのだ。人間はそういうものだ、という諦念が滲み、ラストのある人物のちゃっかりした「その後」も、大分シニカルではある。
 貧しい人々に対する暖かいまなざし、みたいなものはここにはない。ただ、暖かいまなざしというのは時に(当事者ではないからこその)上から目線の憐みになりかねない。本作の視線は、階段通りの人々と同じ位置にあり、だからこそ彼らの嫉妬や情けなさと容赦なく向き合う。オリヴェイラの近年の監督作『家族の灯り』に通じるものを感じた。多分、富裕層の人たちの話だったとしても、同じように描かれるのではないだろうか。