30代後半のあかり(田中幸恵)、桜子(菊池葉月)、芙美(三原麻衣子)、純(川村りら)は仕事も家庭環境も違うが、一緒に食事や旅行に行く仲のいい友人同士だ。しかし純が1年にわたって離婚協議をしており、原因は自身の浮気だったという告白をしたことで、4人の間には動揺が広がる。監督は濱口竜介。スイスの第68回ロカルノ国際映画祭で最優秀女優賞を主演の4人が受賞。4人は演技経験は特になく、濱口監督主催のワークショップに参加していた人たちだそうだ。
 何と317分という超大作。私が見た時は3部に分割されての上映だったが、正直な所、1部の中盤まではこの先どれだけ続くんだ・・・と大分うんざりしていた。しかし、1部後半、体感時間ががっと速くなる感覚を覚えた。その先は長さがあまり苦痛にならない。長尺だから成立する作品なんだということもよくわかる。長さの原因として、1シークエンスが妙に長いということがあるだろう。特に会話のやりとりが、普通のいわゆる娯楽映画だったら省略するんじゃないかな(というか省略した方がまとまりがよくなるであろう)という部分も全部映し出される。それが見ていて面倒くさくもあるのだが、むしろその省略しても文脈は通じるであろう部分に、その場にいる人それぞれの性格とか方向性、価値観みたいなものが色濃く表れている気がした。ぐだぐだ話している部分の方が、「その人」らしさを感じさせるのかな。彼女らが抱える問題や悩みは割と月並みというか、よくある話と言えばよくある話だ。しかし、こういうった「余分な部分」を丹念に描く、演じることで、「よくある話」であっても人それぞれやはり違う、同じ話はないということが浮き上がっていくのだ。プロ俳優ではない演者を起用しているので、会話の流れを変に分断せずに演じ続ける方が、いい演技が引き出せるという事情もあるのかもしれないが。
 序盤(3部分割版だと第1部)、芙美が勤める公共施設でワークショップが開かれ、あかり、桜子、純が参加するというエピソードがある。最初、この部分やたらと長いなーそんなに必要かなーと思っていた(正直すごく眠かった)のだが、その後の展開を見ていると、このワークショップの内容は物語の重要な要素の要素を象徴していたのだとわかる。ワークショップは自分の重心のありか、人との距離感、人との(肉体的な)接触を体感していくものなのだが、主人公である4人の関係にさざ波を立て、彼女らを悩ますのは、この人との距離感、人とどう接するのかということなのだ。人それぞれのその差異が一貫して描かれていく作品だと思う。ワークショップに(主催者サイドなので)参加していない芙美が、他の3人よりももう少し人と距離を保ちたがる(温泉旅行の様子からすると肉体的な接触もあまり得意ではないっぽい)タイプであるというのも、なんとなく腑に落ちる。あかりは友人同士なのになぜ大事なことを言ってくれないのか、嘘をつく人とは友人ではいられないと純をなじる。それが彼女にとっての人との距離感なのだ。しかし、相手との距離感、何を持って友人と言えるのかというのは人によって違うだろう。秘密にしていることがあるからといって、純や芙美があかりや桜子のことを大事に思っていないわけではない。それでもなお友人だという関係も当然あるのだ。
 また、純の夫、芙美の夫が持つ愛情の距離感もまた、印象に残った。純の夫は真面目な善人だが、人間関係のニュアンスに少々乏しい(あかりに言わせると、離婚も無理ない)。しかし、一貫して純を愛していると言い続け彼女を追い続ける。それが純にとっての幸福かどうかは、彼にはもはや関係ないのかもしれない。一方、芙美の夫は妻と共働きで家事も分担し、情熱的ではないが理性的かつ円満な夫婦関係に見える。しかし今一歩相手に踏み込まない/踏み込ませない部分がお互いにあり、芙美にとってはそれが負担になっていく。友人なら、夫婦なら、どこまで立ち入っていいのか、相手のどの部分にまで「私」が属するのか、そういうことを考えながら見た。