通り魔に妻を殺され、悲しみから立ち上がれないアツシ(篠原篤)。夫・姑と暮らす平凡でぱっとしない日々の中、1人の男の出現に心が揺れる瞳子(成嶋瞳子)。親友への思いを秘めたままエリート弁護士として生きる四ノ宮(池田良)。苦しみを抱え生きる人たちの姿を描く。監督は橋口亮輔。
 冒頭、俳優の演技なのか素なのかわからなくなってくるアツシの独白からして、ただ事ではない緊迫感なのだが、この密度が最後まで持続するあたりが恐ろしい。主演の3人はオーディションで選ばれた無名の新人俳優で、役柄は彼らに合わせてアテ書きされたそうだ。この人がここにいるという説得力が強烈だった。しかも、「こういう人」という型にはまらない曖昧さ、はみ出てくる感じを維持している。俳優の力もすごいのだが、橋口監督は演技をよくこここまで引き出したなと唸るしかない。本作、監督の今までの作品より一段と、生の感情を加工せずそのままフィルムに焼き付けられないかという実験をやっているようにも見えた。
 愛する人を理不尽に奪われたアツシはもちろんのこと、辛さや悲痛さがそこかしこに噴出する。一見変わり映えのしない毎日を送っている瞳子の、美しいものへの憧れ(この人の場合はこういう風に表出するのかという所を含め)に何だか泣けてくるし、大体に置いてテンプレな「いけすかないエリート」である四ノ宮の思わぬナイーブさにはっとする。苦しみや傲慢さ等で隠されているが、その下には、その人が本来持っている柔らかい部分、優しい部分が隠されているのだ。柔らかい部分があるからこそ、よけいに傷は深くなり、それを覆う鎧が熱くなることもあるだろう。人間の一様でなさ、多面的で矛盾している様が描き出されている。そこが人間の面白さであり、今ここにある辛さを越えていく手がかりになるのではないかと思った。辛い中でもおなかはすくし笑っちゃうようなこともある。100%が辛さで出来ているわけではない。
 実際、辛いシーンが多いのだが、そんな中にもユーモラスなやりとりや、当事者は大真面目だけど客観的には笑ってしまうシチュエーションが多々あって、悲壮過ぎないところがとてもいいし、誠実だと思う。日常って、こういう、色々な感情がまぜこぜになっているものだろう。そのまぜこぜを再現しようとした作品でもあると思う。
 脇役に光石光や安藤玉恵など、これは間違いないなという面子を揃えている。光石の胡乱さ、安藤のうさんくささともに素晴らしい。また、アツシの職場の先輩である黒田を演じた黒田大輔が深く印象に残る。先輩の黒田は、いつもニコニコしていて人の話もわかってるんだかわかってないんだか、という不思議な人だ。しかし、「あなたと話したいよ」という彼の言葉の、何ということはないのに非常に的確な選び方にはっとする。俳優・黒田のぼそぼそした喋り方だからまた説得力あるのだ。