1977年のテヘラン。新作『サイの季節』を出版した詩人のサヘル・ファルザン(カネル・シンドルク)は、妻ミナ・ダラクシャニ(モニカ・ベルッチ)と深く愛し合っていた。ミナの運転手アクバル・レザイ(ユルマズ・エルドガン)はミナに思いを寄せており、嫉妬を隠せない。耐えかねて思いを告げたアクバルは夫婦の親族から暴行を受け、ミナから遠ざけられた。1979年、イスラム革命が起きた。アクバルの密告によりサヘルとミナは投獄される。アクバルは新政府側の役人という立場を利用してミナを早期釈放させようとするが、ミナは拒みアクバルは激怒する。そして2009年、30年の刑期を終えてサヘル(ベルーズ・ヴォスーギ)は出獄するが、彼は死んだことになっており、先に釈放されたミナは双子の子供とトルコに移住していた。監督はバフマン・ゴバディ。
 陰影が濃く、冷ややかな色合いの映像が非常に美しい。特に海の黒々とした色には飲み込まれそうだった。サヘルとミナがデートする冬の森も、ちょっと古代の森のような神秘的な雰囲気がある。そんな風景の中で描かれる男女の物語もまた、神話のような悲劇性を帯びている。もちろん、イスラム革命は実際にあった事件だし、サヘルの体験自体、実際にあったことが元になっているそうだ。それでも、本作はいわゆる歴史劇のような雰囲気がないし、歴史・政治に翻弄された人々を描くという一面はあっても、そこが主体ではないように思う。
 より濃いのは、むしろ男女の思いの掛け違いや嫉妬という、どの時代でもどの国でも普遍的な要素だ。出所したサヘルは手を尽くしてミナを探しだすが、彼女を遠くから見つめるばかりだ。ミナはミナで、新しい生活を始めたものの、未だサヘルを待ち続けている(彼女はサヘルの墓を見ており、生きているとは知らないのだが)ように見える。アクバルはサヘルが死者にされたことでミナに近づくことは出来たが、未だにサヘルに嫉妬している。3人の視線も言葉も延々と交差することがなく、コミュニケーションは断絶されている。
 が、そもそも30年前に彼らの視線はお互いに隔たれてしまい、お互いに届く言葉もなくなってしまったのではないか。サヘルとミナが獄中で再会するシーンで、2人とも顔に袋を被せられるのが象徴的だった。サヘルは実際、作中殆ど喋らない。本来彼は言葉を操る詩人なのだが、詩以外の言葉には失望してしまったかのようだ。深い諦念を感じる。