郊外の農家に暮らすひつじのショーンと仲間たち。同じことの繰り返しの毎日にうんざりして、眠らせた牧場主をトレーラハウスに移してバカンス気分を味わう。しかしトレーラーハウスが突然動きだし、牧場主と牧羊犬のビッツァーを都会に連れて行ってしまった。ショーンたちは牧場主とビッツァーを探して都会に向かう。監督・脚本はマーク・バートン&リチャード・スターザック。『ウォレスとグルミット』シリーズでおなじみのアードマン・アニメーションズによるクレイアニメーション。
 アードマン作品の通例として観客にわかるセリフは一切ないのだが、キャラクターが何を考え、今どういう会話が交わされたのかということはするっとわかる。見ているだけで、何が起きているか的確にわかるのだ。それは、映画の文法が大変しっかりしている、映画の基礎体力がすごく高いということだろう。カメラをどう動かしてどういう見せ方をすると観客に対してどういうメッセージになるか、という基本的な部分がしっかりしているのだと思う。映画は元来「見て」わかるものだ。見ているだけでわかる、という点では、最近見た作品だと『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』に匹敵するものがある。そういえばどちらもめっちゃ車輛走ってるな・・・。やはり映画は運動を追うものなのか・・・。
 アードマンのすごいところは、クレイアニメーションでこの「映画」をやっているところだ。あまりに「映画」なことにちょっと狂気を感じるくらいなのだが・・・。コマ撮りでこれをやるのかよ!という作業的に気の遠くなりそうなところはもちろんだが、カメラがすごくよく動くところがすごい。アニメーションってカメラの存在を(実写映画のようには)あまり意識しない(したとしてもちょっとカメラの在り方が違う)ものだと思うので。ただ、本作はコマ撮りのクレイアニメーションなので、いわゆるセルアニメよりはカメラを意識するのかもしれないが。
 平凡な毎日が延々と続くことにうんざりしていたショーンたちだが、そこから離れてみると、日常が恋しくなる。勝手といえば勝手だが、日常の貴重さってこういうことだよな、とすんなり納得する。それはショーンたちにとってだけではなく、牧場主にとっても同様だ。お互い、いつもの日常を取り戻す、でもその日常は今までの日常とはちょっとだけ違う、というところが、地に足がついていていい。そういえばアードマン作品て、『ウォレスとグルミット』にしても、ナンセンスだったり素っ頓狂だったりしても、基本的に地に足がついていると思う。