建設会社に勤めるアイヴァン(トム・ハーディ)は、大規模な工事の現場監督を明日に控えていた。車に乗り込み帰宅しようとすると、携帯電話が鳴る。電話に出たアイヴァンは、家とは逆方向に車を走らせ、部下に電話して明日の仕事を無理矢理任せ、家族には帰れなくなったと連絡する。監督はスティーブン・ナイト。
 アイヴァンにかかってきた電話が誰からのものなのか、何が起きたのかは最初はわからない。アイヴァンが電話で話している内容から徐々に事態がわかっていく。とはいっても、その「事態」は大分陳腐なのだが。本作の面白さはアイヴァンが何をやったか、ではなく、それをどういう方法で観客に伝えるか、というところにある。作中、アイヴァン以外の人間は姿を見せない。アイヴァンとの電話での通話だけだ。そしてアイヴァンは一貫して車を運転し高速を飛ばしている。このシチュエーションでどこまで面白くできるか、というチャレンジ精神が感じられる作品だ。そしてちゃんとそこそこ面白い。
 ただ、その面白さは映画としての面白さなのかというと、ちょっと疑問に感じる。映画の面白さとは連続した運動を追う面白さによるところが大きいと思うのだが、本作には運動は乏しい。正確にはアイヴァンは車で移動し続けているのだが、主に映るのは車内にいるアイヴァンなので、「運動」している感じはしないのだ。むしろ静止画をつなぎ合わせて作られたような、バンド・デシネ(それもセリフ量がかなり多いもの)を読んでいる感じに近い気がした(日本の漫画ともちょっと違う。漫画はコマ間にかなりの運動を感じさせるものが多いので)。
 アイヴァンの行動、選択は、賛否が割れそうで適切なのかどうか何とも言えない。理にかなっているとも倫理的とも言いにくいのだ。ただ、彼自身は「これ」だと信じて選択している。愚直とも言えるが、自分なりの正しさとやらに憑りつかれているようにも見える。彼を駆り立てるのは、自分の父親のようにはなりたくない、自分は父親とは違うと証明したいという欲求だ。しかし彼の独白を聞いていると、彼と父親とは大分似たことをやっているように思えてくるのが皮肉だ。